夕日の彼方

絵描きとゲームが好き。日常でなんとなく思った事をなんとなくで書いてます。サイト→http://mist.in/1597/
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消費者は楽

久しぶりに白猫で好きなキャラと最高に楽しいイベントが出て
オタク全開で原稿そっちのけで遊んでしまったんですが、
やっぱり、こういう消費者側って楽だなぁと思いました。
ほんと、なんで創作してるんだろう。すきなんだけど・・・

以前ツイッターでこういう話題あったんだけど、
ゲームは基本消費するだけで、与えられたルールの中で遊ぶしかない。
だから楽しかったらそれでいいんだけど、本当に消費するだけなので、特に自分から何か生み出すものって本当にない。
二次創作でファンアートを描くならまだしも、他にやる事があるとそこまで行けないし、きびしい。
攻略情報とかも発信するわけじゃない。
だから、今の自分はゲームを遊ぶイコール消費するだけになってしまっている。
昔はオリジナル創作とか描かなかったから、二次創作で楽しめてた。
今も描きたいけど、ほんとに時間がない。

本当に消費する側は楽だと思った。
だいすきだから、大好きなものに触れているだけで幸せで楽しいし、現実逃避めっちゃできる。
同じように好きな人との交流も持ちやすい。好きな話を共有して楽しめる。
夢の世界に居るみたいで、これがオタクのいい所だよなぁと思った。

オリジナル創作は本当に評価されなければ孤独で、だから私の場合はSNS嫌だからリアルイベントしかなくて、イベントに出続けるしかない。
サイトは反応薄なので、自己満足。
どんどん孤立していく。さみしい。
自分で生み出すのはエネルギーがいるし、疲れてくる。
本音はこうです。
それでも描きたいのが創作で、謎ですよね。

バランスとって付き合えるようにしたいなぁ

ぼうねんかい

今いる会社の忘年会が11月末と、かなり早くてびっくりしました。
ぶっちゃけ忘年会って、お酒を断りながらおいしいものを食べる、くらいにしか思ってなくて、会社の社交辞令でしかないと思っていました。
でも今日のはなんか、それだけじゃなかったので、びっくりしました・・・

おそらく社長のご趣味なんでしょうが、知り合い伝いで、中国やモンゴルの楽器演奏者の方も呼んで、演奏をしてくださいました・・・
いや、もう、馬頭琴とか絶対一度はしっかりした演奏を聞いてみたいと思ってたんですよね。
小学校の時は、学校に馬頭琴はあったけど、演奏できる人はいなくて、見るだけで・・・
今日突然その機会ができて、びっくりしてます。
プロの方の演奏なのに、タダ聴きしていいんですか・・・?
今自分めっちゃラッキーで贅沢すぎなんじゃないか??????ってすごい心境になってて0(:3 )〜 _('、3」 ∠ )_
帰り際にめっちゃよかったです・・・・ありがとうございました・・・・
って握手してもらっちゃった・・・

実際馬頭琴の演奏めちゃくちゃかっこよくて、かっこよすぎて体にビリビリ響いて泣きそうになりました。
本場の方が演奏したから曲のエピソードとかも聞けたし、間近で指の動きを見れたり、もうめっちゃ贅沢じゃね・・・やべぇ・・・・ってなってました・・・
もう一人の方は二胡で、これもまたかっこよかった・・・
モンゴルの子守歌も歌ってくれたし和んだ。
子守歌までかっこいいのかよ・・・・・

今の自分が離人感ひどくて現実の感覚、特に視界と聴覚に膜が張ってるように鈍いんですが、もう演奏の力強さがそれを超えて響いてきたので、すんごい心が動かされた感じがしました。
いいなぁ・・・馬頭琴かっこいい・・・・・・

こんな古風で良質な忘年会してるところあるんだなぁとビックリしました。
普通に宴会が開ける会場を借りて、コース料理食べながら、楽器演奏を静かに聞く。
静かといっても、騒いだりとかはしないだけで、適当にのんびりしてる。
お酒を飲むのを回避するのが面倒だけど、それ以外は全然良かったです。
こういう自分に利益のあるものがあるならどんどん参加したいな。
他は食べるだけだけど((

かわいいを描けない

自分が今描いてるものって、まぁ可愛いものではないです。
私が思ってるだけで、やっぱり可愛いって思われちゃってるかもしれませんが・・・

かわいい絵の方がウケがいいし、自分も得意なので、そっちの方が向いてるんだろうなとは思います。
分かってるのに、全く描こうと思えない。
なんでなんだろう。

普通に可愛い絵を描いてたのはいつ頃だったかな、って考えたら、学校卒業するまでずっとでしたね。
社会人になってからは遊戯王がメインで、ちょっとダークな絵を露骨に描き始めて、
そこから少しだけ枷が外れて、かわいいの描くよりも楽しいなってなった気がします。

可愛い絵。
今思うと、それすらも仮面の役割だったのかもしれませんね。
あと、自分の無垢な部分の表れも。
今描いてるダークな絵は、ほとんど発表とかなかったし、恥ずかしくてぜったいにムリだったもので・・・

自分で無垢っていうとアレだけど、本当に純粋だったと思いますよ。
なんだかんだ過保護気味な親で、わるいことはダメだと育てられて、危険からは遠ざけてくれていた。
更に親を反面教師にして怒っちゃだめだ、人を責めちゃだめだ、人に苦労はさせないで、自分でやれ、こんなの、制限されすぎて、ある意味歪んでますけどね。
ここまで極端だったから、社会人になって壊れたんだし。
そういう感じで、とりあえず「きれいであろう」としていたし、実際邪心ってのはそこまで本当になかったんですよね。
あるとしたら親とケンカしてる時くらいで、学生時代の最後の方は、他の人に対してはそんなに何もなかったと思います。
今の方がこころ汚いですけど、やっぱ楽です。笑

話は戻るけど、可愛い絵。
今描きたいと思えないのはなんでだろうなって、けっこう気になります。
なんだかんだあんなに描いていたのにさ。
まぁやっぱり、人に見てもらう前提で描いていたとこがあったんですよ。
これなら無難な形で、誰が見ても受け入れられるなら、かわいい絵。という感じで。
かわいいは大正義ですからね。間違いない。万人受けする。

どんなに可愛い絵を描いてても、本当に自分を表現するというとなると、誰にも見せてない絵の方だったりします。
それは今描いてるような絵であって、絶対に発表する気がなかった。
カッコイイ絵は向いてない。でも今の方がお絵描きはずっと楽しい。
私の本性は、こっちの方なんだなぁって。
というか、逆に極端にこころを白くあろうとした反動でしょうね。
抑圧されてたわるいこと、邪悪なこと、やっぱりカッコイイって思ってましたし、それを開放するのが楽しいから、今の絵みたいなことになっちゃうんですよね。
こんな状態で、人の評価がほしくてかわいい絵を描いたって、なんかあざといだけになってしまいそうです。

見た目で判断もよくされてましたから、見た目の方も抑圧がすごかったし、
だからキューティー着たりしてはじけちゃったりしたんですよね。笑
おとなしそう、か弱そう、失礼じゃないですか。本当によく言われました。
事実本当の事だったと思うけど、だからと言ってやっぱり何もできない弱いやつと思われてるのが本当に悔しかった。
なーーーーーんにも信用されてねぇじゃん。
何したってできなくて頼りないんだろうなって雰囲気が伝わってきて本当に辛かった。
今は落ち着いてきたけど、それでもやっぱり出る場所によっては、舐められないようにガッチリオシャレするようになったし、やっぱり少しだけでも、カッコイイ、が欲しいですよね。
カッコイイ、は強さです。
逆に言うと、私がゆるい格好してる時は、別に強さを見せなくてもいいリラックスできる場の場合です。笑
安易に弱いと思われたくない時ほどガチガチファッションしてきてしまう。

周りの目からしたら、優しくておとなしい、か弱くて頼りない、っていうイメージかなぁと。お嬢様って言われるのが本当に嫌だった。
別に汚い作業したっていいし、ある程度力だってあるから重いものは持てたし、そういう些細なできる事に対しても心配されてしまうのすごく悲しかった。
そういうのは逆に特だと思うんですけどね。過剰だと悲しいです。
こういうのだから、かわいいから離れたくて、描きたくなくなっちゃったのかもしれないなぁ。
まぁ本当に弱いから、今描いてるのだってにじみ出ちゃうんだけど、カッコイイ、が描きたいなぁ・・・

親からの言葉

愚痴記事です!!!!

ツイッターで親の教育やら子供のトラウマの話がまわってくると反応してしまうんですが、やっぱり私も大したことないながらも苦しい事がたくさんあったので、他人事に思えません・・・

何より私は今も大人が嫌いです。
大人、と言っても、「子供みたいな話の通じない自分の事ばかりの大人」が嫌いです。
本当の大人は、融通がきいたり、違いを認めたり上手く無視できたり、
もっとさっぱりしているものです。

大人が嫌い。
その原因は、まぎれもなく幼少期に関わった大人たちのせい。
母親、保育園の先生、小学校の先生など、私は、大人という点ではけっこう嫌な人に会ってきた方だと思います。
幸か不幸かわりと母親が過保護気味で大切に育てられてきたとは思いますが、
やっぱりその過保護な点で問題もたくさん起きてきてて、
なんていうか、親が恥ずかしいと思うとこまで何度も来た事があります。

母親は子供です。
典型的な、子どものまま育った感じです。
大人っぽく振舞っても、精神のキャパシティは狭いので、ダメになっちゃうと、ひどく攻撃的になってしまいます。
そりゃダメになったらだれでも参ってしまうけど、うちの母はそれが極端に低いと思う。
ヒステリーに怒鳴り散らして破壊的な行動を取るのは小さいころはたくさん見てて怖くて、
絶対にこんな人になりたくないと、反面教師にするしかなかった。

父親も子供です。
でも、子供のように純粋、という意味で、あんまり悪いイメージはありません。
まぁ強いていうなら我が道を行くタイプなので、言う事を聞いてほしい母とはぶつかってもしょうがないタイプで、人の事をあんまり気にしないってのが難点かな。
良くも悪くも、だけど。

その、人を気にしない、という部分が、私は父親に似たのかもしれません。
何より絶対に怒らなかったので、昔はお父さん大好きで、お父さんっ子でした。
お父さんが居なかったら、私は逃げ場がなかったかもしれません。
母親にゲーム禁止にされてた時も、お父さんの前では遊んでてよくて、よく家の外に連れ出して外で遊ばせてくれました。
そんなお父さんが大好きだったので、私がゆっくりマイペースで動いて要領が悪いと、
母親に「お父さんに似たからそんなにできないんだね」
と言われたのはめちゃくちゃショックで、怒りと悲しみでどうにかなりそうでした。
きっと本人は覚えていないのでしょうが。
言い方的にはお父さんが悪い、みたいに言ってたように思うんですが、遠回しに子どもの存在否定してますよね。
それくらい子供でも分かるんですよね。
子どもだから、子どもなんだから、子どもをバカにするのは良くない。
子どもはしっかり分かってる。


のんびりしてても、やっぱりいろいろやってみたい。
好奇心は強かったので、いろいろ頑張ろうとするんです。
でも、やっぱり私って過保護に育てられたんだなぁと思います。
母親から、できない、というレッテルを貼られ、手を出される。
自分でできない。悔しいです。
結局学校とかで、そういうとこが出るんですよ。私はすごく弱かった。
そんで学校でなんかあると、親が学校の方に出てすんごい怒るじゃないですか。
もうどこも逃げ場がない。
そういう親を見られるのが恥ずかしかったし、かといって先生も怖くてあんまり相談もできなかったし、もうどんどん、自分は弱い、弱い、って思うようになっていっちゃうんですよね。
もっといろんなことを、のびのびと好きにやらせてくれたら。
失敗しても怒られなければ、何が悪かったか明確に言ってくれれば、
こんな怖がりで自尊心の低い自分にはならなかったんじゃないかと、なんか思ってしまいます。
ゲームにはまったのだって、ゲームはいくら失敗しても現実には支障ないし、唯一自由な時間だったのかもしれませんね。自分のしたいように唯一できるものだった。
絵もそういうとこはあるかもしれない。

終わった事だし今は好きな事しててもういいんですが、
こういう事を未だによく覚えているから、大人が嫌いで、大人になりたくない、と思っています。
正直自分の本名に込められた意味、ちゃんと意味通りに生きているのか全然わかんないです。
かしこい子に、という意味が込められてるって聞いたけど、
正直親の思う賢いという意味通りには育ってない気がします。すまんな。

マイペースで、注意力が低くて、ぼーっとしてて、遅い。
まじでこんなの生きてる価値あるんですかね。
そう思わせたのはまぎれもなく母親なんですが、傷つけるので言えないです。
言ったことないし・・・
ひとつを思い出すと、一気にいろいろ思い出す。つらい。


そう、できない事といえば。

何が分からないのか、というのを誰も聞いてくれなかったから、
分からないといっても、どうして分からないの、
としか言われなくて勉強できるわけなかった。
何が分からないか分からない、考え方が根本から分からないのに。

自分の興味のある事は極端に成績がよくて、わからないものは極端に悪い、というのはこのせいだと思います。
分かりやすかったのが、美術。
絵だと5とか取ってるのに、図工、特に既に完成形のある精密なものを作る、となると、1〜2とか取る人だったんですよね自分0(:3 )〜 _('、3」 ∠ )_
ペーパークラフトとか、図の通りにやるだけ、と言われたんですけど、それが分からなかったんですよ。
さすがに頭悪いでしょ。でも本当にわかんなかった。きれいにできなかった。
完全に無から作る粘土はだいぶ良かったけど、はじめから答えがあるものは、なんか考え方がわからなくて、どうしてそうなるのか、成り立ちを考えるのが苦手だった。
数学ができないのも納得です。
人が考えた暗号を考えるとか、今も苦手です。

自分で過程を作って自分のやり方を築いていくもの、ふわっとしたものは得意でした。
逆に、母親はそういうとこが苦手で、父親は得意だった。両極端です。
母親は、私が数字の問題で分からないでいる事にイライラしていたのは、なんで分からないのか分からなくて、教え方が分からなかったんだなぁと今は思います。
母親はそういう勉強という所では頭いいです。だからこそですよね・・・
まぁイラつかれて怒られてばかりだったから、勉強嫌いになるよね。

本当に、怒っても良い事なんにもない。怖いだけで・・・
子どもには怒らずに、正しく教えて、時に叱りましょうね。
逆にお父さんに言われた注意は納得いって素直に聞いてました。
絶対に怒らなかったからね。信頼できてました。

こういう、辛い気持ちを背負った子供の気持ちは分かるんですが、
逆に良い場所で育った明るい子の気持ちは私はあまり分からないと思うので、
接するのはちょっと苦手だったりします。
ごめんね・・・まぁでもその場合は根暗おねえちゃんだと思っててもらっててかまわないぞ!
そもそも私もわりと幼少期からそんなに考え方変わってないから、当時から明るい子苦手なのも変わってないだけだから!!!
私も!!!!こどもです!!!!
経験した事しか深い理解を得られない、というのを、もっと人類は知るべきですよね。
それを心がけてるだけで、本当に人に優しくなれると思います。
他人は、自分が思ってるほど、なにもわかってない。
天然石のお店

天然石のお店

天然石を実際に見て買いたい。
そう思って、今日は遠出の帰りついでに、天然石の専門店へ行ってきました。
めちゃくちゃ面白かったです。
写真は左から、
サンストーン(オレンジ)
クォーツ(透明の水晶)
スモーキークォーツ(黒っぽいの)

少し前に天然石について日記で話して、アクセサリーなどが人間の欲に見えてしんどい、って話をしていたと思うんですけど、今回行ったお店は、そういう感じには思えませんでした。
立地的にも目的も人の入りも全然違うので、今までと違うと感じるのは当たり前かもしれません。
今までは、観光地やショッピングモールなど、人の入りが激しい感じの所で見たことが多かったのです。
今回行ったところは、都会ではあるけど、けっこう地下街の奥地まで行かないといけなくて、観光とかじゃないほんとの専門店でした。

自分はアクセサリーとして加工されたものはいらないかな〜と思っていたので、
写真のような荒いカットの石がほしいと思っていました。
なので、確実にそういうのがあるところを探してきました。
無いとこは無いじゃないですか・・・アクセサリーのみとか、ブレスレッドなどに使えるようにビーズ加工したのしか置いてなかったりとかもありますし。

ここもそういった加工のものはもちろんあったのですが、なんていうか、本当に石を大事にしている感が強く感じました、
ビックリしました。
アクセサリー加工されたものももちろんあります。たくさんありました。
でもなんやろね。石自体が主役であって、石を良く見せる工夫が本当によかった。
シンプルでよかった。
あとこれは人によるだろうけど、店員さんが放っておいてくれるタイプで助かりました。
静かに石を選ばせてくれてほんとに助かった。ありがとうございます・・・

今まで行った所って、店内の装飾も凝ってたりして、それだけで疲れちゃってたりしました。
それって石じゃなくて石を巻き込んだお店の人の欲だと思うので、
すごく失礼な意見になっちゃうけど、私にはそれが疲れる原因で、
あんまり長居ができない理由でもありました。
石が好きでいいお店を作りたい!という理由かもしれませんが、それがもうバランスむずかしいですよね。
アクセサリーに加工されてても、基本アクセサリーを身につけないから邪魔で、
そもそもアクセサリーって、人間が使いやすく加工したものの大きな欲の形だろう。
こんな過激な考え方をしてしまうし、これらの理由で天然石が嫌だなって思う理由にもなってました。

天然石が自分も欲しい。
そう考え方が変わって興味が出てきたのは、タロットやアロマを通してスピリチュアルの世界にのめり込み始めたときで、天然石の話も出てくる事が多かったこと。
自分もタロットに取り組んだり、夢分析をしたり、アロマを使う事で、自分の直感や深層心理を大事にする事が増えました。
また、それらをやればやるほど、自然に感謝しなければとも思いました。
深層心理もなかなかコントロールの効かない、どちらかというと起きてる時の表層意識を支配している自然のものです。
その深層心理の部分から変化や浄化の手助け方法である、スピリチュアルな世界ものってすごいなと思うようになっていました。
パワーストーンも、そういうものです。理屈よりも直感で。

以前も書いたように、天然石自体は昔から好きで、ちっちゃいのを買ってたりしてましたし、何なら道端の石も好きです。
でもパワーストーンの理屈がわかんなくて、そういうとこに興味はありませんでした。
ただ、きれいだな〜と思っていただけでね。
でも、そのきれいだな〜、が大事なんですよね。
その惹かれる石が自分に必要なもので、色や石の質感、輝き方で、見ているだけで癒されたりしますが、そういう風に心理に影響が出るのは、デザインで使う色彩の与える影響と似ている作用だと思うのです。
また、人間を含めた生き物の肉体も鉱物の塊で、石も鉱物。
そう思うと同じ地球に生まれた仲間で、同種族とも言えるかもしれない、
というのもあって、共鳴しないわけがないだろうなと思い、
天然石を知れば知るほど、直感に従って石と付き合うほど、
理に適った自然の恵みだなと思うようになりました。

話がずれたので戻りますが、実際そのお店で石を見ていてびっくりしました。
やっぱり写真で見るのと印象が全然ちがう。
むしろ写真よりも輝き方がおとなしかったり、また未加工のものだと、ビーズ加工されたものよりワイルドで透明感が低かったりして、全然違ったりします。
でも、それでもなんか綺麗なんですよ。
どうしても目が離せないものとか、気になるものがある。
写真だと綺麗に見えてたものが、実際見たらそんなに惹かれないとかもあったので、ビックリしました。
シトリンとかレモンクオーツとか、透明の黄色で写真では綺麗に見えてたけど、実際に見たら、なんか弱弱しく感じて、自分には合わないのだろうなと感じました。

今まで行った天然石のお店は、入ってもお店の空気とかに疲れてゆっくり選べなかったけど、
今回のお店は、本当に石が見やすかったし、大事に展示されている感じもすごくて、
私にはすごく合っていました。
なんだろう。
石自体の色や魅力がしっかり伝わるように展示されていたと思います。
白い光がメインで、ガラスの器やショーケースで石の色を損なわない。
たまに弱いオレンジの照明で雰囲気を出そうとしているお店もあるけど、なんだろうな。
あれが自分はダメな気がする・・・

お店の雰囲気は普通のお店なんだけど、キラキラはしていても
宝石店のような敷居の高い感じでもなく、
品揃えを見るとシンプルなものが多くて、本当に、さっぱりとしていてよかったです。
店員さんも、石が好きなんだな〜って感じがして、和みました。
すごく丁寧に扱われていて、見てて幸せになってました。
本当に行ってよかった。あのお店はリピートしようと思います。
人通りの少ないとこにあるのも個人的には好きです。
行くまでにかなりの人混みを抜けなきゃいけないですが0(:3 )〜 _('、3」 ∠ )_

素敵な石と出会わせてくださってありがとうございます。
石が素敵すぎて、見つめながら泣きそうになってます・・・

何かを始める時期

創作ネガティブ話題0(:3 )〜 _('、3」 ∠ )_

正直、今創作をやっていてすごく思うのが、「始めるのが遅かった」という事です。
画力的にも、宣伝的にも、界隈慣れ的にも、知識も、すごく乏しい。
せめてもっと「人に見せたい」という気持ちに正直になっていれば、画力はもっと早くから取り組めていたかもしれません。わかんないけど・・・

創作をやりたい気持ち自体は、中学校の頃からずっと強かったです。
もっと言うと小学生の頃からオリジナルでいろいろ描いてはいましたし、
自分の世界を表現したい気持ち、というとこまでいくと、本当に小学生の頃から強かったです。

じゃあなんでこんなつい最近始めたの?という話だけど、
ずっとできなかったのは、
「ガチゲーマーだったから」
「ネットで好きなものを話し合える人ができた」
この二つで十分楽しかったからだと思うんですよね。

それと、「自分の気持ちを誰かに伝えるのがものすごく恥ずかしかった」
これがでかすぎたせいだと思います。ほんとに無理だった。

ゲーマーだったから、遊ぶのは一人でも楽しかった。
でもそれについて周りに話せる人があんまりいない。
そこに更にネットができて、常に一人でやってたポケモンやその他好きなゲームの話ができる楽しさを知ってしまった。
ゲーマーだったから仕方ないです。
誰かと本気で好きなゲームで本気で遊べる。すごく面白かった。
周りにそんな人全くいなかったから余計に。
ガチで対戦やったりして、時間を10年以上もそこに費やしてしまった。

イラストはちょっと描けたら良くて、人に評価されることとかは別にどうでもよかった。
どちらかというとコミュニケーションツールでした。
ゲームと並行して、そういう風に二次創作でポケモンの絵とかは描いていましたし、
オリジナル創作も、公開はしてないけど、ずーーーっと自分だけで楽しんでいました。
創作自体はものすごく昔からしていたんです。
ホームページを初めて作ったのも中学生の時。
オリジナルもちまちま描いてたけど、もっと全面的に出したいなと思ってはいました。
でも、「すごく恥ずかしかった」

すごく恥ずかしかった。それはなんでか。
自分の創作って、面白いものを作ろうとしてる創作とは違ってて、
ただただ自分の気持ちを吐き出しているだけであって、そのまま「自分のこころの暴露」だったわけです。
それは今もほとんど変わらず。
だからそれがすごく恥ずかしかった。
自分の事を認めてもらえない環境に長く居たから、
自分の気持ちなんてわかってくれないと思ってしまう環境にいたから、
自分のこころを人に見せるなんてとんでもない、と思ってしまっていたんです。
だから創作メインのサイトや活動ができなかった。
やろうと思えばいつでも始められていたのに、です。

そんなこんなで、ある時遊戯王に再熱して、同人イベントのデビューをすることになりました。
最初はアンソロに誘われての原稿の寄稿からでした。
すんごい楽しかったです。同人も自分が参加するとか全然思ってなかったから、
全然知らない世界に誘われた感じ。
自分の絵が金銭に絡む形で本当に役に立った事って、これが初めてだったかもしれません。
ここで今でもずっと付き合いのある友達ができ、また人生の先輩でもありましたし、趣味の傾向も似ていた事から話が合い過ぎて全面的に楽しい話ができる。
ファッションの事、同人の事、印刷所の事、仕事に対するメンタル。いろいろ人生の手本になりました。
ここでこの方に出会って本当によかったです。
親と色々あって苦しくてできなかった事、職場で色々あって、自尊心が破壊されて、好きな事が苦しくなってしまった事。
リアルの自分の周りでは、この辺の事をこころから全部分かってくれる人なんていなかったので、それを分かってくれた大きな存在の友達です。

本当にいろいろあって、ぶっちゃけ私の人生の根幹が動き始めたのは、最初の職場を辞めてからだったかもしれません。
ここから自分の気持ちの事をまじめに考え始めました。
心身を壊した直後くらいでは2次創作ですらやらなくなっていて、何も作れる状態じゃなかった。
何もできなくなって、自分のやりたいことって、本当のこころって何だろうってのを考えるようになって、やっぱり絵が描きたいな、でも大した画力ないしな・・・

でも描きたいしな。
そういう感じで復活したのがスマブラを頑張っていた時期に描いたネスの絵で、思っていたより絵に反響があったのは今でもビックリして恥ずかしかったのを覚えています。
画力は高校生の頃から止まっているようで、あんまりいい出来じゃなかったと思うけど、反響があったのが嬉しすぎて、そこからいっぱい描いていました。
気付いたら、オリジナルも描きたい気持ちが強くなったし、
いやホントにスマブラしてなかったら自分何してたんだろう・・・

そんな感じで絵をまた描くようになりました。
そこで今感じてる問題が、画力の低さです・・・
正直、ずっと画力上がってない。
今からでも頑張ればいいじゃないか。そう思います。
でも、やっぱり周りの創作者を見かけるとへこみます。
しかもそういう方々は、けっこう早い段階から創作、もしくはめちゃくちゃエネルギッシュに創作をしていて、画力以外にも表現や宣伝の力の差を見せつけられます。

自分の今のペースは崩したくない。もう無理はしたくないから。
好きなものを嫌いになりたくないから。これはすごくつらい。二度と味わいたくない。
そういうとこで一生懸命になりすぎると心が貧しくなるのが私の嫌なところです。
頑張れば力はつくのは知っています。やるなら少しずつしかない。

でも、もっと早く「恥ずかしさ」をとっぱらっていれば、人に見せる事を意識してもっと早く取り組めていただろうな・・・・と思う事がすごく増えてきています。
せめてあと5年早く始めたかった。
その5年のうち3年くらいは仕事ばかり、辞めてからはうつの治療でせいいっぱい。
創作活動の時間間隔からしたらすごくムダにした気持ちです。
(しっかり本心の整理できたし、スマブラの本当の面白さも味わえたからムダではないけど)

過ぎ去った事を気にしてもダメなのは分かってます。
今は創作したいのはほんとの事だし、やるしかないのです。
気持ちとしては、今まで恥ずかしいという理由で創作を公表しなかったのがウソなくらい、たくさん発表したい気持ちがあります。
そこまで心の枷がとれたのだなぁと思うと、やっぱり「自分自身」としては成長していて、今も良い状態なのだろうと思います。
周りと比べると、私はうつになって3年も治療に専念してなんて、周りはその間元気にやってたのかな・・・とかいろいろ比べてしまいそうになりますが、まぁよく知りもしないのにそんな想像だめですよね((

とにかくいろいろ紆余曲折があって今の自分があるのです。
時間を取り戻す・・・というのは無理だろうけど、自分の気持ちの表現はずっとしていきたいなと思います。

自然からの恵み

人の身勝手な欲が見えるほど、ものは大事にしなきゃなぁという思いが募る・・・

自分は仕事で陶磁器を扱ってるんですけども、陶磁器も思いっきり天然由来の素材を使っているものであって(この世にあるものはみんなそうやけども)
作られる過程を知れば知るほど、陶磁器も大事にしなきゃなぁと思います。

もともと陶磁器は大好きで、教室にも通って楽しんでいたくらいだし、お皿を見かけると、じっと見つめたくなります。
これはどういう過程で作られたんだろう、ここはどうやって作ったんだろう、めっちゃ気になります。
本当に子どもの頃から好きで触れてきたものなので、陶磁器への想いはわりと強い。
この前も石川県のイベントついでに九谷焼をめっちゃ見て来ました。笑
巡り巡って陶磁器関連のウェブサービスに携わる事ができて、ほんとに幸せだと思います。

話は戻りますが、陶磁器って何で作られてるかだいたいの人は分かってると思います。
陶磁器は、石や粘土から作られています。
これらの素材はどこからくるのかっていうと、山などを削って、採掘しています。
更に陶磁器として作られる過程に、不定形の粘土から形を作り、それを切り取り焼き上げ、それに釉薬を付けて、また高温で焼く。
もうこれだけで分かりますよね。自然のものを思いっきり使い、製作過程でもどうしても自然現象として発生してしまうものが必ずあります。
私にとってはこの事実だけで十分です。
安全に使えるなら、手元に届いた時点で大事に使いたい。
焼く過程で出てきてしまう、コゲや鉄粉、気泡、釉薬の発色の微妙な違いもある。でも使える。
これらの理由で自分ではどうしても使えない思うなら、売るなり陶磁器リサイクルに出すなり、とにかくムダにならないようにしたいです。
きれいなものがいいのはすごく分かるんだけど、なんか知れば知るほど、使えればいいじゃないかって個人的には思ってしまうようになってしまいました。
陶磁器ってのは大地の器なんだ。地球の土の器で食べ物を頂いているんだ。

陶磁器を扱った仕事をしていて、商品レビューがつくことがありますが、
中には本当に理不尽なレビューもあって、その度に悲しくなります。
もちろん商品に安全面や衛生面などで問題、飲食店で大勢の人に使われる事があるなら見た目の明らかな悪さなど、店舗側に責任はあるので、クレームはもちろん分かります。
それでも、届いてから、質感やデザインが好みじゃなかった、という理由で、捨てます、と書かれると、すごく悲しくなる。
ものすごく個人的な感情ですが、きれいに届いてなおかつ使うのに問題のないようなら使ってほしいし、捨てるにもどういう風に捨てるのかが気になります。
ちゃんと分別されてリサイクルされるといいな・・・と思います。

ネット通販は難しいね。
正確に情報が伝わるように工夫しないといけないなと思いました・・・・
が、やっぱり説明をしっかり読まない購入者の方も必ずいるので、絶対は難しいなと思いました。
確実にいいものが欲しいなら、ちゃんと実店舗で買ってきてほしいものです。
店舗で買う時の値段が高いっていうなら、各地の陶器祭りがとっても安いぞ!
陶器祭りに行ってくれ!!!
それが購入者にも買われる陶磁器にも幸せな事です。

以上陶器屋さんの愚痴でした0(:3 )〜 _('、3」 ∠ )_

こころをなくす

心を亡くす書いて「忙」とか「忘」という漢字がある。
今の自分はまさにそれだなって思います。

本当に、無駄に忙しくて、楽しいこころを忘れている。
周りから見ればそれなりに良い生活でしょう。
適度に休んでお金を得て趣味に費やし、無理しない生き方をしている。

でも、ここ最近の離人感が本当にひどい。
自分がここにいる事に違和感があって、生きてる心地がしなくて、いったいなんで存在してるのか分からない。
なのに意味がわからないのに働いたりしていて、無意味に感じている。

ぶっちゃけ絵はどんどん描けなくなってます。
描き方がわからない。上手いとかそういうんじゃなくて、イメージがなかなか湧かない。
描きたくても描けない。描きたいと思って筆をとっても、何も思い浮かばない。
絵は心で描くもの。描けないって事は、心が忙しくて忘れている何かがあるんです。
これ、うつ病真っ最中だった時の自分と似てる。
違うのは「恐怖心」がないことだけかな。
うつ病の時は筆をとって真っ白な紙と向き合うと怖くて描けなかった。それがないだけでもいいのかな。
でも、描けないのは一緒です。なんか空しい。

それじゃあ、本当は今は何がしたいんだろうと思うと、特にない。
強いて言えば、楽になりたい。
何もしたくなくて、ただ安心したくて、ゆっくりた時間の流れを感じていたい。
仕事してるとそれができる時間が限られてくるじゃないですか。
先の事を心配しないで、安心をしたい。
せっかく3連休をとっていても、全部メンタル回復に使ってしまう。
そのメンタルも仕事をするためのもので、自分の為になっていない気がして空しい。
心が回復して絵が描きたくなっても、その時点でもう仕事に備えなきゃいけなくて、絵を描く時間なんてなくなる。すごく悪循環になってる。

現状を変えたいと足掻いても、結局必死になってる事自体が忙しくて、更に悪化しそうな気がしてる。でもせずにはいられない。現状がいやなんだから。
ほんとにどうしたらいいんだろう。
今の自分、ほんとにそのまんま、心がない。
心がないから、人としても冷たいし、余裕がないし、愛もない。空しい人間です。

最近の状況整理

離人感がひどいけど、ただそれだけでこんなに頭がぼーっとするものなのか?
ってすごく不安になってきてて、それが原因でうつがぶり返しそうな気配。
嫌なので考えすぎないようにしたいけど、ほんとに疲れて何もできないので、それで凹みそうです。というか凹んでます。もうやだ。

とりあえず今の自分の何が嫌かを正直になって考えると、
とにかくもう仕事は嫌です。人付き合いも嫌です。
友達と会うのはいいけど、無理がない範囲で。とにかく疲れてる時、自分がやりたい事があるときに他人が入ってくるのがすごく許せない。

つまり自分の時間がちゃんと取れていない。本当の意味でとれていない。
一人で居ても、他人の存在でやりたい事がやれていない。
あれがやりたい、でもあの人が邪魔をする、心配させてしまう、一人でやったら迷惑かけそう、こんなことばかり考える。
一人暮らしがしたいという一点だけでも、親が反対しそう、心配しそう、他の人が反対しそうという理由で苦しい。
かといって今はお金もないので一人暮らしをするならそれを目指して仕事もしなきゃいけない。
でも仕事の時間を増やすと自分の時間がなくなる。
実際今の休日、昔と比べて一人の時間が取れない事も多くなってる。用事ができて出かけるってのも、自分ひとりの用事より人の用事も増えて辛い。
だから休日を減らすイコール自分の時間が圧倒的に減る。
それに伴って付き合えないというと悲しませそうで、つらい。
一人暮らしの中身の関しても、今度やるなら冷蔵庫いらないとか、ベッドいらないとか、一般的にあった方がってものをほとんど買わない予定ですし、なんか言われそうだけどそうしたいなって思います。
でも周りは、えぇ〜よくない、とか、あった方がいいよ、とか、みんな自分の価値観を推してくるんだろうなって思うとそれだけでしんどいです。
起こってもない事考えても意味ないけど、今までそういう事が多すぎたので、怖いです。
否定された気分になってたので、これからも自分のやりたい事っておかしいのかなって気持ちにさせられそうで、人に言うのが怖いです。
(野草食うとかもだいぶ引かれてる)

一人でやる事に対して、みんながみんな心配、邪魔をしてくる。
そんなの気にしなければいい。それだけなんだけど、「人に心配、迷惑をかける」という一点のみで一歩踏み出せない。
人に迷惑をかけるとどうなるか、自分が責められてつらい、人の機嫌の為に、振舞う事になる。
でもそんなの本当に自分の気持ちを殺してて生きてる心地がしなくなるのは当たり前。
人が勝手に心配しているのであって、自分はそれを押しのけてでも新しい事をしたいのです。
わかってるのにできない。

こんな風に私は本来いろんなことがやりたくて、興味をもって楽しい事を探してしまう。
本当に人を振り回すタイプなので、他人中心でいると絶対に自由になれない。
何か一歩、現状を壊す出来事がほしい。
進む、ではダメなんだと思う。何か些細な事でもいい。
驚くものに出会って価値観を壊したい。
自分が何も分からない、でも好きな世界に飛び込んで、またそこで必死になりたい。
分かる範囲ではだめなんた。だいたいわかってしまうから刺激もなくて、停滞してしまう。
今それが唯一できる事が創作しかないんだけど、それも時間が必要だから、どうにかして元気も出したい。
正直周りが世間の価値観や一般的な考えに染まりすぎてる人が多くて、自分も人の事は言えないだろうけど、価値観の押し付けの量がひどいです。
自分がやりたい事やるだけで不信感を抱かれて、誰も信じられない気持ちになります・・・
私は人がどう生きようがどうでもいいし、なんでもいいと思う。
まじで生きてるだけですごいし、生き方とか、本当に他人の生活を脅かしたりとかじゃなければ、生きていればどうでもよくないか?
なんで私はだめなんだろうなと悲しくなります。
ダメとは言ってないと思うけど、信じてくれないっていう風に感じるのは辛いです。
極端ですが、それは「ダメ」と言ってるのと同じではないか?

いろいろやりたいけど、あんまり今は足掻かない方がいいんだろうなとも思う。
元気がないのは事実だし、お金もないから身動きできないのは確かです。
目の前の事をやる。創作も、作りためてるものを消化していった方がいいのだと思う。
結局自分のやりたいと思ってることしかやれない不器用タイプだから、やりたくない事は何やってもうまく行かない。楽しくないに決まってる。
楽しい事しかしたくない。それでいいんじゃないかな。
頑張る力が備わってると思っていたけど、それは苦痛を伴うものだというのが根付いているのも、かなり足枷なのかもしれない。楽しいだけでいいじゃないか。
今はもうほんとに苦痛が伴うくらいなら死にたいって思う。
苦労しろって言われたら死にたい。

天然石の話

あまりパワーストーンとかは興味はない方なんだけど、石自体はきれいだし好きです。
子どもの頃から好きで、おみやげとかによく買ってました。
ただ、石自体が好きなので、ブレスレッドやネックレスなどのアクセサリーに加工されたものはほとんど持っていません。
あっても自分が普段使いしてるのはダウジング用のペンデュラム。
あとは貰い物とかキーホルダーばかりかな・・・

パワーストーンは、本当によくわからない。
効果の理屈が理解できなくて(頭堅くて霊的なものとは無縁0(:3 )〜 _('、3」 ∠ )_)
こういう効果がある!と言われても、そうなんだ〜くらいにしか思ってなくて、頼ろうとも思わなかった。
でも、石自体は好きで、特に水晶は異様に美しく感じていて、本当に好きです。

少し前にダウジングをやってみたくて、水晶でできたペンデュラムを購入した時に、オマケで無加工の水晶のかけらをもらえました。
こんなのもらっていいのか・・・ってくらい、やっぱり水晶ってきれいです。
無加工なので砕いた部分が白くなってたりして完全な透明ではないけど、先端の方はとてもきれいな透明。
自然にできた層の横筋もすごくきれい。
水晶は見てると本当に落ち着くし、やっぱり何かあるのかなぁと思います。
こころがすごくしんどい時に、その水晶を握っていると、すぅっと軽くなります。
なかなか眠れない時に握ったまま寝ると、すぅっと楽になって眠れたりします。
水晶のペンデュラムも、使う時に見つめるだけで心が静まります。

ガラスと水晶は成分は同じらしいけど、やっぱり強度が違うし、水晶は完全に天然で作られたものってのがすごい。
ガラスはひっかき傷がすぐにできるけど、水晶はよほどの力でないと傷がつかない。
本当に自然の力ってすごいなって思います。
ほんとに、ガラスでは出ない美しい透明さ。

きっと天然石をいろいろ見てると、感じ取れることとかあるんだと思います。
そういうお店には一度も行った事がないから、一度は行って触ってみたい。
ただアクセサリーに加工しているものを推したお店はなんか苦手です。
なんでなんだろうな・・・・
石自体が見たいので、加工済みのものはなんかよくわからないけど本当になかなか興味が持てない。
パワーの理屈が本当に理解できないんだけど、一度そういう話を読んだり聞いたりしてみたいなぁ。
理屈じゃないのかもしれないけど、何もよく分からずに手を出して使うってのができない頭堅い人なので、やっぱ知りたいなぁ。
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