まだ書くわよ
思ってたよりもむくむくと気持ちがあふれてきて、語らなきゃ収まらない。
二次創作文化の話。
今回は完全な自分の過去語り。
自分の二次創作の事を考えると、平和に過ごせていたのは
「個人サイト時代」までだと思う。
SNSはツイッターもピクシブ浸透してない、あるとすればミクシィくらい。
あっ手書きブログもかな。
あれは完全に絵が描ける人と、手描きの文が描きたい人が
牛耳ってたからまた毛色が違うけども・・・(発表手段としてはめっちゃめんどいSNS)
それまでの二次創作の発表の仕組みなら、
住み分けは容易にできるし、検索避けも対策でみんなやってる事が多かったし、今とはくらべものにならないほど、発信者は配慮がしっかりされていた。
閲覧者はどうだろう。
基本的に検索避けをされているから、自分から探しに行くのよね。
ネットサーフィンで、深く深く探す。そうして見つける好みの絵。
簡単に見つけられなかったけど、みんなそれで満足していた。
それがツイッターが流行り始めてみたらどうだろう。
これは私が感じたことだから全員がそうだとは思っていないけど、
ツイッターが2次創作で繁栄した原因に、
元ホームページでの「発信側」よりも、「閲覧者」が主体で大きくなっていたように見えた。
発表も閲覧も早く手軽に誰でもできるようになって、
そういう「面倒な手間」を忘れてしまったがゆえに、
今のモラルの無さとか問題が出てきてるんじゃないかなぁと思う。
著作権がどうのこうのの二次創作の問題自体は、昔からなんら変わりない。
今問題なのは、「発信が手軽に誰でもできるようになってしまったが故の」問題だと思う。
今まで、HTMLの理解や、サイトを作る勇気、検索避けやジャンル明記、閲覧制限など、
発信者に必要だった苦労や、気を付けていた部分が壊されかけていて、
閲覧側も苦労して見つける事を忘れる、もしくは知らないから、
自然と、簡単に見つけて広めていいものだと勘違いをしてしまう。
発信が簡単になるのは良い事だと思う。
でも、本当にそれだけが良い事なんだろうか。
難しいからとホームページを作らない人達を見ていて、
絵や文章が描けるのにもったいないなぁとかすごく思ってたし、
ブログでもいいから作らないかと言っても、
コンテンツを作れないから、続けられないからといって作らなかったり、
そんなに難しくないのに、「できないから」「めんどうだから」とやってこなかった人たちは正直いっぱいいた。
それなのに、ツイッターやピクシブという、
「発信に手間がかかるものを省いた」ものが流行ると、
今のように、自由に使えてる人がいる。
やっぱり本当に作れなかったんだなとか、面倒だったんだなと思ったんだけど、違和感もあった。
「こんなに発表できる人が増えて、今までホームページ作らなかったのって、本当にもったいなくない?」って。今までどこにいたの?って。
そんな人達が、作ってきた側が気を付けてた事とか、
ほとんど考えもしないだろう。(極論だけど)
ホームページを作るにあたって、どうやって広めるかとか、
何が表になるとまずいかとか、考えないんだろうなって。
だってSNSって基本「表」だもの。出したら「表」なの。
鍵つけたりすればそれは良いけど、しない人が多いんだ。
そして統一された「ツイッター」「ピクシブ」という場所なので、自然と人が集まる。
閲覧する側も、ここに来ればいろいろ見つかる、と便利だろうし、面倒なネットサーフィンなんてしなくなる。
何で今まで二次創作の個人サイトが、
あんなにひっそりと見つけづらくしていたのか、考える事もなく。
***
実際私はギリギリまでホームページで二次創作をしていたけど、
来てくれていた方達が、ツイッターに来てください、という声をよく出すようになった。
ギリギリまでツイッターを始めるのを渋った。
そこに行くことで私のメリットは何だろうってちょっと考えたけど、思い浮かばない。
私は、発信側、作る側よりも、ただ見るだけの閲覧者の方が多いと思う。
この人数の関係がひっくりかえったから、今はSNSで声が大きい原因になってるんだろうなぁと思う。
SNSは気軽に「自分の発信の場」が作れるところだ。
難しいHTMLの知識がなくても、長い文章を書かなくても、絵が描けなくても、発言ができる場所だ。
だから、ホームページを作って交流の場を作っていた発信者の作るコンテンツから離れて、ファン同士でコミュニティを作っていた。
そうすると、どんどん自分の領域、見やすい場所に呼びたくなりますよね。
だから来ませんか、って誘われたんだと思う。
でも正直悲しかった。
好きだったらツイッターやらなくてもホームページに来てくれるんじゃないかなとか、
生意気だけどそう思ってて、まぁ実際頑固にホームページはずっと続けていたから、
来てくれる人はずっと居たから幸せだったんだけども・・・
でも、自分が自サイトで絵チャ会開催してて、楽しんでる途中で、
ツイッター側の、こっちで絵チャ会始めたから移動してきませんかって言われたのすんごい悲しかったの覚えてる。
こっちじゃもうつまらないんだろうな・・・って。
もう個人サイトダメだと思った瞬間だった。明らかにSNSの時代だって悟った。
(てか2窓でやってたんかよ・・・いいけど・・・)
数年経って、コミュニティでの人と人との距離が近く感じ、窮屈に感じ始めた。
まず自分の妄想話が言いづらい。見たくないものも見なきゃいけない同調がほんとに辛くて、私は自分の妄想を語りたいし、愛を叫びたいのに、なんで人の妄想を見てなきゃいけないのだって。
たまに聞く分にはいいんですよね。
個人サイト時代は絵チャ会でそういう場を作っていた。
それいいね!とか、普通に言っていた。
でもツイッターって、本当に四六時中人の妄想を見せられて、
この流れで自分の言うのはな・・・って言うのが増えて、個人サイトで結局戻って語る事ばかりだった。
当時ってミュート機能なかったんですよね。
だから余計に避け様がなくて、無理だった。
今言われている「見たくないものが回ってきて辛い」を直撃で受け続けていた。
更に、個人サイト時代、それぞれサイトの雰囲気があって
好きなようにやって自治していたのに、ちゃんと住み分けがされてて、
わりと(自分の行動範囲では)安全だった個人サイト時代には考えられないような、
どうでもいいいざこざを目にすることも増えて、結局二次創作で同人は自分には向かなくて、窮屈なだけだと分かって、やめてしまった。
厳密には自分の趣味にどうでもいい人間関係が見えるのが嫌になったのが原因だったんだけど、これって、SNSが流行りさえしなければ、起き辛い事だったんじゃないかなって。
そのどうでもいいいざこざを見かけるのは、今現在もよくある。
ホントにどうでもいい事で。
作品のせいで喧嘩しないで、問題起こさないで、平和に作品を愛させて。
最後は社会人になって疲れ果ててたのもあって、このイベントで最後にします、と最後に呟き、イベント参加後に速やかにアカウントを消した。
特に追ってくる人もいなかったので、ツイッターでは私の存在なんてもういらなかったんでしょう。
寂しいです、とは言ってくれた。
でも、その後も私は個人サイトに完全に戻って語ったりしてたけど、
その人たちはツイッターから出てこなかったし、メッセージも来なくなった。
ツイッターにいなければ、居ない人も同然、・・・になるくらいツイッターというものが大きくなってしまったんだなぁと。
なんかそんな2次創作界隈自体に疲れて、その後ツイッターを数年使わなかった。
つまるところ、モラルのないおたくってやだなってとこですよ。
あんなに鍵もせず表に妄想を出して絵も出すのは、さすがにどうかなぁと当時から思っていた。
もしかしたら自分もブーメランな事してたと思うかもしれないんですが、やっぱり個人サイト文化って優秀だなぁと思います。
ツイッターがなくなったらかなり治安よくなるんじゃないかな。本当に。
当時の方にこの記事見られたらすごく申し訳ないけど、これが本心でした。
どんどんフェードアウトしていってたし、察していた人もいたかもしれない。
でも、別にその人達がきらいになったわけじゃない。
ツイッター特有のノリが、雰囲気がダメになっただけで、作品も今現在ずっと愛している。
好きすぎてアニメが見れないけど、見てなくても未だに友達とその作品を語る。
ただ、もう2次創作同人はSNS経由ではほぼしないでしょう。疲れるから。ごめんね。
まぁ誰ももう期待してないし求めてないんだろうけども・・・
(ちょっと前に、当時作ってたbotアカウントを消し忘れてたの思い出して、久々にログインしたら当時の方達がまだブロ解してなくて、元気な様子見れてちょっとうれしかったです。
消しちゃってごめんね。こっそり)
二次創作文化の話。
今回は完全な自分の過去語り。
自分の二次創作の事を考えると、平和に過ごせていたのは
「個人サイト時代」までだと思う。
SNSはツイッターもピクシブ浸透してない、あるとすればミクシィくらい。
あっ手書きブログもかな。
あれは完全に絵が描ける人と、手描きの文が描きたい人が
牛耳ってたからまた毛色が違うけども・・・(発表手段としてはめっちゃめんどいSNS)
それまでの二次創作の発表の仕組みなら、
住み分けは容易にできるし、検索避けも対策でみんなやってる事が多かったし、今とはくらべものにならないほど、発信者は配慮がしっかりされていた。
閲覧者はどうだろう。
基本的に検索避けをされているから、自分から探しに行くのよね。
ネットサーフィンで、深く深く探す。そうして見つける好みの絵。
簡単に見つけられなかったけど、みんなそれで満足していた。
それがツイッターが流行り始めてみたらどうだろう。
これは私が感じたことだから全員がそうだとは思っていないけど、
ツイッターが2次創作で繁栄した原因に、
元ホームページでの「発信側」よりも、「閲覧者」が主体で大きくなっていたように見えた。
発表も閲覧も早く手軽に誰でもできるようになって、
そういう「面倒な手間」を忘れてしまったがゆえに、
今のモラルの無さとか問題が出てきてるんじゃないかなぁと思う。
著作権がどうのこうのの二次創作の問題自体は、昔からなんら変わりない。
今問題なのは、「発信が手軽に誰でもできるようになってしまったが故の」問題だと思う。
今まで、HTMLの理解や、サイトを作る勇気、検索避けやジャンル明記、閲覧制限など、
発信者に必要だった苦労や、気を付けていた部分が壊されかけていて、
閲覧側も苦労して見つける事を忘れる、もしくは知らないから、
自然と、簡単に見つけて広めていいものだと勘違いをしてしまう。
発信が簡単になるのは良い事だと思う。
でも、本当にそれだけが良い事なんだろうか。
難しいからとホームページを作らない人達を見ていて、
絵や文章が描けるのにもったいないなぁとかすごく思ってたし、
ブログでもいいから作らないかと言っても、
コンテンツを作れないから、続けられないからといって作らなかったり、
そんなに難しくないのに、「できないから」「めんどうだから」とやってこなかった人たちは正直いっぱいいた。
それなのに、ツイッターやピクシブという、
「発信に手間がかかるものを省いた」ものが流行ると、
今のように、自由に使えてる人がいる。
やっぱり本当に作れなかったんだなとか、面倒だったんだなと思ったんだけど、違和感もあった。
「こんなに発表できる人が増えて、今までホームページ作らなかったのって、本当にもったいなくない?」って。今までどこにいたの?って。
そんな人達が、作ってきた側が気を付けてた事とか、
ほとんど考えもしないだろう。(極論だけど)
ホームページを作るにあたって、どうやって広めるかとか、
何が表になるとまずいかとか、考えないんだろうなって。
だってSNSって基本「表」だもの。出したら「表」なの。
鍵つけたりすればそれは良いけど、しない人が多いんだ。
そして統一された「ツイッター」「ピクシブ」という場所なので、自然と人が集まる。
閲覧する側も、ここに来ればいろいろ見つかる、と便利だろうし、面倒なネットサーフィンなんてしなくなる。
何で今まで二次創作の個人サイトが、
あんなにひっそりと見つけづらくしていたのか、考える事もなく。
***
実際私はギリギリまでホームページで二次創作をしていたけど、
来てくれていた方達が、ツイッターに来てください、という声をよく出すようになった。
ギリギリまでツイッターを始めるのを渋った。
そこに行くことで私のメリットは何だろうってちょっと考えたけど、思い浮かばない。
私は、発信側、作る側よりも、ただ見るだけの閲覧者の方が多いと思う。
この人数の関係がひっくりかえったから、今はSNSで声が大きい原因になってるんだろうなぁと思う。
SNSは気軽に「自分の発信の場」が作れるところだ。
難しいHTMLの知識がなくても、長い文章を書かなくても、絵が描けなくても、発言ができる場所だ。
だから、ホームページを作って交流の場を作っていた発信者の作るコンテンツから離れて、ファン同士でコミュニティを作っていた。
そうすると、どんどん自分の領域、見やすい場所に呼びたくなりますよね。
だから来ませんか、って誘われたんだと思う。
でも正直悲しかった。
好きだったらツイッターやらなくてもホームページに来てくれるんじゃないかなとか、
生意気だけどそう思ってて、まぁ実際頑固にホームページはずっと続けていたから、
来てくれる人はずっと居たから幸せだったんだけども・・・
でも、自分が自サイトで絵チャ会開催してて、楽しんでる途中で、
ツイッター側の、こっちで絵チャ会始めたから移動してきませんかって言われたのすんごい悲しかったの覚えてる。
こっちじゃもうつまらないんだろうな・・・って。
もう個人サイトダメだと思った瞬間だった。明らかにSNSの時代だって悟った。
(てか2窓でやってたんかよ・・・いいけど・・・)
数年経って、コミュニティでの人と人との距離が近く感じ、窮屈に感じ始めた。
まず自分の妄想話が言いづらい。見たくないものも見なきゃいけない同調がほんとに辛くて、私は自分の妄想を語りたいし、愛を叫びたいのに、なんで人の妄想を見てなきゃいけないのだって。
たまに聞く分にはいいんですよね。
個人サイト時代は絵チャ会でそういう場を作っていた。
それいいね!とか、普通に言っていた。
でもツイッターって、本当に四六時中人の妄想を見せられて、
この流れで自分の言うのはな・・・って言うのが増えて、個人サイトで結局戻って語る事ばかりだった。
当時ってミュート機能なかったんですよね。
だから余計に避け様がなくて、無理だった。
今言われている「見たくないものが回ってきて辛い」を直撃で受け続けていた。
更に、個人サイト時代、それぞれサイトの雰囲気があって
好きなようにやって自治していたのに、ちゃんと住み分けがされてて、
わりと(自分の行動範囲では)安全だった個人サイト時代には考えられないような、
どうでもいいいざこざを目にすることも増えて、結局二次創作で同人は自分には向かなくて、窮屈なだけだと分かって、やめてしまった。
厳密には自分の趣味にどうでもいい人間関係が見えるのが嫌になったのが原因だったんだけど、これって、SNSが流行りさえしなければ、起き辛い事だったんじゃないかなって。
そのどうでもいいいざこざを見かけるのは、今現在もよくある。
ホントにどうでもいい事で。
作品のせいで喧嘩しないで、問題起こさないで、平和に作品を愛させて。
最後は社会人になって疲れ果ててたのもあって、このイベントで最後にします、と最後に呟き、イベント参加後に速やかにアカウントを消した。
特に追ってくる人もいなかったので、ツイッターでは私の存在なんてもういらなかったんでしょう。
寂しいです、とは言ってくれた。
でも、その後も私は個人サイトに完全に戻って語ったりしてたけど、
その人たちはツイッターから出てこなかったし、メッセージも来なくなった。
ツイッターにいなければ、居ない人も同然、・・・になるくらいツイッターというものが大きくなってしまったんだなぁと。
なんかそんな2次創作界隈自体に疲れて、その後ツイッターを数年使わなかった。
つまるところ、モラルのないおたくってやだなってとこですよ。
あんなに鍵もせず表に妄想を出して絵も出すのは、さすがにどうかなぁと当時から思っていた。
もしかしたら自分もブーメランな事してたと思うかもしれないんですが、やっぱり個人サイト文化って優秀だなぁと思います。
ツイッターがなくなったらかなり治安よくなるんじゃないかな。本当に。
当時の方にこの記事見られたらすごく申し訳ないけど、これが本心でした。
どんどんフェードアウトしていってたし、察していた人もいたかもしれない。
でも、別にその人達がきらいになったわけじゃない。
ツイッター特有のノリが、雰囲気がダメになっただけで、作品も今現在ずっと愛している。
好きすぎてアニメが見れないけど、見てなくても未だに友達とその作品を語る。
ただ、もう2次創作同人はSNS経由ではほぼしないでしょう。疲れるから。ごめんね。
まぁ誰ももう期待してないし求めてないんだろうけども・・・
(ちょっと前に、当時作ってたbotアカウントを消し忘れてたの思い出して、久々にログインしたら当時の方達がまだブロ解してなくて、元気な様子見れてちょっとうれしかったです。
消しちゃってごめんね。こっそり)
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