年始の恐怖
先ほどツイッターでショッキングなワードがトレンドになっていた。
なんか無視もできなくて、クリックして軽く見て見たら、人目の多い所での自殺の事だった。
泣いてしまったけど、それは私が勝手に泣いてるだけだし、本当の事はわからないけど、自殺ってやっぱり辛いからするんだろうし、本当に悲しい。
時期的にも納得する。
長期休み明けはつらいし、そういう人は必ずいるだろう。
正月が来ると、多くの人は不安ながらも期待も大きく、明るい未来を見てると思う。
でも、所詮ただの区切りで、ただの長期休みで、疲れている人からすればどうでもいいことで。
周りのその空気も相まって苦しくなるんだろう。
今年もよろしく?今年もがんばろう?
年始と同時に、1年の始まりという振り出しに戻される感覚。疲れだけがたまっている。
ほんとに、疲れてる人からしたら、お正月なんてただの重い日々の始まりでしかない。
私もうつで休んでる時、この空気が無理だった。
昨年もうつから復帰できなかった。治せなかった。家族の重荷になったままだ。
年賀状がつらくて返せなかった。見る事も辛かった。
親戚に会うのもつらかった。会わないで家にいた。
とにかくその辛さを家族が肯定してくれた事が大きかった。
私は本当に運が良くて、恵まれていた。
その時期を区切りに、年賀状がぱったり減った。
でも、私が年賀状を返さなくても、ずっと送り続けてくれる人はいた。
その友達は、本当に優しいし、元気になった今も、昔と変わらず接してくれる。
すごくいい友達も持っていて、自分は本当に幸せだった。
何度も書いているんだけど、私は本当に運がよかった。
辛い時に、逃げ場があったから、しなずに済んだ。
もしかしたら死ぬ勇気も出なったかもしれないけど、しんでてもおかしくなかった。
何度しんでもいいかなと思ったことか。
ちょっと体の調子がいいと、しのうとすることにエネルギーが向くあのギリギリの感覚。
今思うと恐ろしい事だなぁと。
しんじゃいけない。
そのブレーキになっていたのは、自分を本当の意味で心配してくれる、
または、他愛のない話で普通に話をしてくれる、現実とは離れた人の存在があったからで。
今思うとすごく申し訳ないんだけど、
メンタルがしんでる時はそっとしておいてくれたり、
すごく気を使ってメッセージをくれたりして、
私自身が、その人達を愛するようになっていたし、
時間はかかったけど、愛されているという実感も確実になっていた。
人を愛すると、やっぱり心配かけちゃいけないなと思う。
でも心配はかけてしまうもので、じゃあせめてしなないようにだけ頑張ろう、と思っていた。
もし愛されてなかったとしても、自分と関わった事で、もし死んだときに、嫌な気分にさせてしまうのもひどく嫌だった。
それがブレーキになっていた。
しなないだけで、最大の迷惑をかけてしまう事は回避できる、と考えていた。
もし自分が愛してる人もいない、愛されてる感覚もない、という感じだったら、
ブレーキがなくて、簡単に死ぬ方を選ぶことも十分に考えていたでしょう。
だから、自殺してしまう人の気持ちは、なんとなく分かるし、
気持ちを考えると、ひどく孤独だったんだろうなと想像できて、
涙があふれてくる。当時のような動悸や震えも出てくる。すごく分かるから・・・
また、話は少し戻るけど、そのツイッターで見た自殺の件で、
人通りが多かったので写真を多く撮られていたという事実に、ひどく悲しみと怒りを感じた。
なんだこれは。最悪だ。
気持ち悪すぎて、その悪気のない感じの憎悪が最悪に気持ち悪くて、
人間ってなんて気持ち悪いんだって思った。
こういう記事書いてる自分も同類かもしれないとも思った。
ほんとやめてくれ。
見たくない人だっているし、せめてネットに上げるな。
もう人間滅びねぇかなって本気で久々に思った。
私自身もう人間社会に希望を抱いていないのは事実で、もうダメなんだろうなと思う。
もちろん全員がダメとは思っていないけど、でも、こんな事する人がいるのやばいじゃん。
こんなの昔の時代と変わらない。
進歩がない。
人間頭わるい。
自分も消えたい。
なんか無視もできなくて、クリックして軽く見て見たら、人目の多い所での自殺の事だった。
泣いてしまったけど、それは私が勝手に泣いてるだけだし、本当の事はわからないけど、自殺ってやっぱり辛いからするんだろうし、本当に悲しい。
時期的にも納得する。
長期休み明けはつらいし、そういう人は必ずいるだろう。
正月が来ると、多くの人は不安ながらも期待も大きく、明るい未来を見てると思う。
でも、所詮ただの区切りで、ただの長期休みで、疲れている人からすればどうでもいいことで。
周りのその空気も相まって苦しくなるんだろう。
今年もよろしく?今年もがんばろう?
年始と同時に、1年の始まりという振り出しに戻される感覚。疲れだけがたまっている。
ほんとに、疲れてる人からしたら、お正月なんてただの重い日々の始まりでしかない。
私もうつで休んでる時、この空気が無理だった。
昨年もうつから復帰できなかった。治せなかった。家族の重荷になったままだ。
年賀状がつらくて返せなかった。見る事も辛かった。
親戚に会うのもつらかった。会わないで家にいた。
とにかくその辛さを家族が肯定してくれた事が大きかった。
私は本当に運が良くて、恵まれていた。
その時期を区切りに、年賀状がぱったり減った。
でも、私が年賀状を返さなくても、ずっと送り続けてくれる人はいた。
その友達は、本当に優しいし、元気になった今も、昔と変わらず接してくれる。
すごくいい友達も持っていて、自分は本当に幸せだった。
何度も書いているんだけど、私は本当に運がよかった。
辛い時に、逃げ場があったから、しなずに済んだ。
もしかしたら死ぬ勇気も出なったかもしれないけど、しんでてもおかしくなかった。
何度しんでもいいかなと思ったことか。
ちょっと体の調子がいいと、しのうとすることにエネルギーが向くあのギリギリの感覚。
今思うと恐ろしい事だなぁと。
しんじゃいけない。
そのブレーキになっていたのは、自分を本当の意味で心配してくれる、
または、他愛のない話で普通に話をしてくれる、現実とは離れた人の存在があったからで。
今思うとすごく申し訳ないんだけど、
メンタルがしんでる時はそっとしておいてくれたり、
すごく気を使ってメッセージをくれたりして、
私自身が、その人達を愛するようになっていたし、
時間はかかったけど、愛されているという実感も確実になっていた。
人を愛すると、やっぱり心配かけちゃいけないなと思う。
でも心配はかけてしまうもので、じゃあせめてしなないようにだけ頑張ろう、と思っていた。
もし愛されてなかったとしても、自分と関わった事で、もし死んだときに、嫌な気分にさせてしまうのもひどく嫌だった。
それがブレーキになっていた。
しなないだけで、最大の迷惑をかけてしまう事は回避できる、と考えていた。
もし自分が愛してる人もいない、愛されてる感覚もない、という感じだったら、
ブレーキがなくて、簡単に死ぬ方を選ぶことも十分に考えていたでしょう。
だから、自殺してしまう人の気持ちは、なんとなく分かるし、
気持ちを考えると、ひどく孤独だったんだろうなと想像できて、
涙があふれてくる。当時のような動悸や震えも出てくる。すごく分かるから・・・
また、話は少し戻るけど、そのツイッターで見た自殺の件で、
人通りが多かったので写真を多く撮られていたという事実に、ひどく悲しみと怒りを感じた。
なんだこれは。最悪だ。
気持ち悪すぎて、その悪気のない感じの憎悪が最悪に気持ち悪くて、
人間ってなんて気持ち悪いんだって思った。
こういう記事書いてる自分も同類かもしれないとも思った。
ほんとやめてくれ。
見たくない人だっているし、せめてネットに上げるな。
もう人間滅びねぇかなって本気で久々に思った。
私自身もう人間社会に希望を抱いていないのは事実で、もうダメなんだろうなと思う。
もちろん全員がダメとは思っていないけど、でも、こんな事する人がいるのやばいじゃん。
こんなの昔の時代と変わらない。
進歩がない。
人間頭わるい。
自分も消えたい。
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