夢の観点から幸福感について考える
先ほどの記事から「幸福感」について気になりました。
「幸福ってのは押し付けで、まやかし、存在しない」という意見を見て、ほーん・・・となりました()
けっきょく極端な意見てのは生きづらくなる一方で、別に違うことはいいじゃないか、と受け入れたら幸福も苦痛も薄れるので一石二鳥です。
苦痛を完全に取り除くには生命を停止させるしかないわけで。
だからあの考え方ができるのだけど、今この世界で楽しんでる人にその意見を押し付けるのはお門違いすぎるんですよね。
(まぁ明るすぎる人が怖く見えるのもすんごい分かるので、お互い様意見の主張は気を付けた方がいいのかもしれないんだけど)
・・・
自分は夢から生きる力をもらい、夢分析をしています。
夢は「今、この時、自分が生きやすくする為の道しるべ」と思っています。
大事なのは「今、この時」です。
そして生きやすくなるには「幸福感」が必要です。
楽しいとか、嬉しいとか、達成感など。
しかし、夢ってのは悪い夢ほどよく覚えています。
わるい夢は「苦痛」となります。
これだけ見ると、やっぱり「生きてるだけで苦痛」を体現してるようにも思います。ていうか、間違いないんです。
生きてるだけで、あらゆる苦しさを感じるのは当たり前なんだから。
「幸福が押し付け、まやかし」分かる気もしますが・・・
なんやかんや、わるい夢と付き合って闇と向き合い、
自分を理解し受け入れるというのを繰り返していると、あれ、なんだか、楽しい。という気分になって行きます。
「苦痛」だったのに「達成感」に変換し、間違いなく「幸福感」を得られています。
こうしてみると、「苦痛」が先にあり、後から「幸福感」が出てきます。
これを前提にして考えてみると、
「苦痛に出会わなきゃ幸福を得られないなんて、そんなら苦痛なんて初めからなんてない方がいい」という考えも間違ってはいませんが、
同時に「幸福感」もなくなります。それは・・・今生きている人間にはどうしようもなくないですか。
だから夢を見てこころの違和感を探査し、苦痛を取り除ける仕組みになっているように感じます。
現実の思考力なんてたかが知れてますから、どうせ考えを放棄するなら夢に託してみませんか()
よくある「死んでしまえば苦痛も快楽もない」という話ですが、じゃあ全員死んじまえ、って事になりがちです。
しかし、「夢は生きる事」を奨励してきます。
「こころも体も、幸せに生きる事」を願っているものと考えています。
私たちがそう考えてなくても、夢はそういう方向性で夢を与えてくると思っています。
そして夢は「今上手く行ってない事、このまま行くとマズい事」も教えてくれることが多いのですが、その範囲は他者の人間関係にも及びます。
人のこころを読める、とまでは行きませんが、個人ができる範囲で注意した方がいいこと、解決方法など、よーーーく夢を見て見ると、あったりするんです。
夢の警告を無視して、そのまま警告内容通りにダメになったなんて話もよく聞きます。
現代、多くの人は夢を気にも留めません。
もう少し夢を気にする人が増えたなら、自然に他者との関わり方を意識できるようになるかもしれませんし、その結果、幸福感が増えるかもしれません。
・・・
しかし、夢ができる事にも限界があります。
それは「知らない事は夢も知らない」のです。
個人の記憶から形成されると言われている夢ですが、特別霊感などが無い限りは個人の域を出ません。
「これから生まれてくる命」のことなんて、夢は分かんないかもしれません。
生まれた瞬間からそれは「他者であり、苦痛を感じている」ことを前提に、夢を見る事はあるかもしれませんが、それまでは全く分からなくても仕方ないというか。
その命の「幸福」は生まれてから生み出すものであって、
やはり生きる過程で必ず生涯「苦痛」が伴います。
精神的な苦痛だけじゃないです。
食事やケガや歩く事まで、全部負担で辛い事です。
食事一つとっても、食べるまで不安な事もあるし、食べてみておいしかったら幸福を感じます。
ケガはまぁ苦痛でしかありませんが、全くケガしないで生きていくってのは難しくて、危険な事を学習して、安全行動を学んでいきます。
その結果、行動範囲の広がりから、楽しい事やワクワク感を得られます。
これらの予習として、夢がサポートしてくれることはあります。
夢の中でおいしく食べたり、行動の予習ができたり。
夢は、「今生きてる自分たちが幸福になる為のサポート機能」です。
苦痛が伴う「生」を少しでも生きやすくするサポートです。
生きている自身を「本当の死に向かわせる」夢はほぼない気がしています。
死に際の夢は例外にはなりますが・・・。
(そして悪夢を本当に悪夢として見てしまうと、発展せずに絶望してしまうかもしれませんが・・・)
・・・
いろいろごちゃってきたけど、
「幸福ってのは押し付けで、まやかし、存在しない」ってのは間違いではないが、
正しくは「幸福ってのは苦痛が伴う為押し付けではあるが、存在はする」だと思います。
だって、自分より上の意識から「幸福を得る為の行動を奨励」されるのだから、あるんです。(起きてる意識を信用してない人より)
自分だって生まれてこなきゃよかったとかいっぱい思いましたけど、
ずっと夢に助けられてきたので、「夢の世界という幸福感」に麻痺してる感はあります。極端ですよ0(:3 )〜 _('、3」 ∠ )_
夢自体は幻ではあるけど「見てる間は本物で存在を感知している」ので、あるにはある。
人間ってやっぱただの思い込みが多いので、両極端の意見はどちらもブーメランとしか言えませんね。
夢を信じてない人に、「夢から幸せになるヒントを得よう!」って言っても何いてんだコイツになるし、苦しいなら夢すらいらないって人も実際多いです。
(でも夢って勝手に来るんだよなぁ・・・嫌なのに来るなら苦痛扱いしなければよくない?夢分析しない?扱いどうする?)
なんて結論だ0(:3 )〜 _('、3」 ∠ )_
まぁやっぱ夢って闇の皮を被った光の使者ですね。だいしゅき。
「幸福ってのは押し付けで、まやかし、存在しない」という意見を見て、ほーん・・・となりました()
けっきょく極端な意見てのは生きづらくなる一方で、別に違うことはいいじゃないか、と受け入れたら幸福も苦痛も薄れるので一石二鳥です。
苦痛を完全に取り除くには生命を停止させるしかないわけで。
だからあの考え方ができるのだけど、今この世界で楽しんでる人にその意見を押し付けるのはお門違いすぎるんですよね。
(まぁ明るすぎる人が怖く見えるのもすんごい分かるので、お互い様意見の主張は気を付けた方がいいのかもしれないんだけど)
・・・
自分は夢から生きる力をもらい、夢分析をしています。
夢は「今、この時、自分が生きやすくする為の道しるべ」と思っています。
大事なのは「今、この時」です。
そして生きやすくなるには「幸福感」が必要です。
楽しいとか、嬉しいとか、達成感など。
しかし、夢ってのは悪い夢ほどよく覚えています。
わるい夢は「苦痛」となります。
これだけ見ると、やっぱり「生きてるだけで苦痛」を体現してるようにも思います。ていうか、間違いないんです。
生きてるだけで、あらゆる苦しさを感じるのは当たり前なんだから。
「幸福が押し付け、まやかし」分かる気もしますが・・・
なんやかんや、わるい夢と付き合って闇と向き合い、
自分を理解し受け入れるというのを繰り返していると、あれ、なんだか、楽しい。という気分になって行きます。
「苦痛」だったのに「達成感」に変換し、間違いなく「幸福感」を得られています。
こうしてみると、「苦痛」が先にあり、後から「幸福感」が出てきます。
これを前提にして考えてみると、
「苦痛に出会わなきゃ幸福を得られないなんて、そんなら苦痛なんて初めからなんてない方がいい」という考えも間違ってはいませんが、
同時に「幸福感」もなくなります。それは・・・今生きている人間にはどうしようもなくないですか。
だから夢を見てこころの違和感を探査し、苦痛を取り除ける仕組みになっているように感じます。
現実の思考力なんてたかが知れてますから、どうせ考えを放棄するなら夢に託してみませんか()
よくある「死んでしまえば苦痛も快楽もない」という話ですが、じゃあ全員死んじまえ、って事になりがちです。
しかし、「夢は生きる事」を奨励してきます。
「こころも体も、幸せに生きる事」を願っているものと考えています。
私たちがそう考えてなくても、夢はそういう方向性で夢を与えてくると思っています。
そして夢は「今上手く行ってない事、このまま行くとマズい事」も教えてくれることが多いのですが、その範囲は他者の人間関係にも及びます。
人のこころを読める、とまでは行きませんが、個人ができる範囲で注意した方がいいこと、解決方法など、よーーーく夢を見て見ると、あったりするんです。
夢の警告を無視して、そのまま警告内容通りにダメになったなんて話もよく聞きます。
現代、多くの人は夢を気にも留めません。
もう少し夢を気にする人が増えたなら、自然に他者との関わり方を意識できるようになるかもしれませんし、その結果、幸福感が増えるかもしれません。
・・・
しかし、夢ができる事にも限界があります。
それは「知らない事は夢も知らない」のです。
個人の記憶から形成されると言われている夢ですが、特別霊感などが無い限りは個人の域を出ません。
「これから生まれてくる命」のことなんて、夢は分かんないかもしれません。
生まれた瞬間からそれは「他者であり、苦痛を感じている」ことを前提に、夢を見る事はあるかもしれませんが、それまでは全く分からなくても仕方ないというか。
その命の「幸福」は生まれてから生み出すものであって、
やはり生きる過程で必ず生涯「苦痛」が伴います。
精神的な苦痛だけじゃないです。
食事やケガや歩く事まで、全部負担で辛い事です。
食事一つとっても、食べるまで不安な事もあるし、食べてみておいしかったら幸福を感じます。
ケガはまぁ苦痛でしかありませんが、全くケガしないで生きていくってのは難しくて、危険な事を学習して、安全行動を学んでいきます。
その結果、行動範囲の広がりから、楽しい事やワクワク感を得られます。
これらの予習として、夢がサポートしてくれることはあります。
夢の中でおいしく食べたり、行動の予習ができたり。
夢は、「今生きてる自分たちが幸福になる為のサポート機能」です。
苦痛が伴う「生」を少しでも生きやすくするサポートです。
生きている自身を「本当の死に向かわせる」夢はほぼない気がしています。
死に際の夢は例外にはなりますが・・・。
(そして悪夢を本当に悪夢として見てしまうと、発展せずに絶望してしまうかもしれませんが・・・)
・・・
いろいろごちゃってきたけど、
「幸福ってのは押し付けで、まやかし、存在しない」ってのは間違いではないが、
正しくは「幸福ってのは苦痛が伴う為押し付けではあるが、存在はする」だと思います。
だって、自分より上の意識から「幸福を得る為の行動を奨励」されるのだから、あるんです。(起きてる意識を信用してない人より)
自分だって生まれてこなきゃよかったとかいっぱい思いましたけど、
ずっと夢に助けられてきたので、「夢の世界という幸福感」に麻痺してる感はあります。極端ですよ0(:3 )〜 _('、3」 ∠ )_
夢自体は幻ではあるけど「見てる間は本物で存在を感知している」ので、あるにはある。
人間ってやっぱただの思い込みが多いので、両極端の意見はどちらもブーメランとしか言えませんね。
夢を信じてない人に、「夢から幸せになるヒントを得よう!」って言っても何いてんだコイツになるし、苦しいなら夢すらいらないって人も実際多いです。
(でも夢って勝手に来るんだよなぁ・・・嫌なのに来るなら苦痛扱いしなければよくない?夢分析しない?扱いどうする?)
なんて結論だ0(:3 )〜 _('、3」 ∠ )_
まぁやっぱ夢って闇の皮を被った光の使者ですね。だいしゅき。
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