奈良にいってきた気持ち
奈良に旅行に行って思った事の殴り書き。
◆奈良は「癒されにいくところ」
展示は向かない
大好きな法隆寺や山があって、
落ち着いた雰囲気もある奈良で展示ができたらと思っていたけれど、
実際に行くとなんとなく直感で、私の作品は合わないかも、と思った。
基本的にこの町自体がマジで落ち着いてて平和の極み。
私の絵って、なんとなくだけど平和なところよりは
少し寂しさや忙しさ、辛さを感じる人がいるところに行きたいので、
そういう人が奈良は少ないなって感じてる。
いたとしても、この町に来てる事がもう仏教を求めているので、必要ない。
年齢層や一般層レベルも高いし、あまり合わなそうだと思った。
やっぱ私はオタク、若者向き・・・
でも遊びに行ったり、文化的な学びをしに行くには最高に良い所で、
やっぱりずっと遊びに来たい。
仕事は関係なし、ここ奈良は、「私の癒しの場所」にしておいた方がいいかもしれない。
橿原の方はまだ見てないけど、
おそらく似た雰囲気になるので、
無理に展示しなくていいかもな・・・・と思った。
好きと需要は、別ですね。
◆仏教の教えと私の折り合い
仏教の教えは完璧に実践しようと思うと
人間やめるレベルなのでむり。
一人で実践できるのは自分への慈悲と悪意の戒めのみで、
他人が絡んでくるとただただその人に優しいだけで、自分がなくなってしまう。
正しいわけじゃないなと感じた。
仏教の教えを完璧にするには、
そういう思想が同じ仲間に囲まれなければならない。
修行するひと、まじめに拝みに来る人は
少なくとも思想は似てると思うし、同じレベルで実践しやすく、幸せに感じると思う。
それなら私も、「同レベル」のような同じ思想の仲間を探したい。
その人たちに囲まれて生きられる環境が作る事ができれば、幸せになるのではないか。
やっぱり対等な関係って大事だな・・・と思った。
私は菩薩のようにはなれないが、
やっぱり法隆寺とか、由緒あるお寺にいると
そういう世界は憧れるし、可能な範囲でそうありたいと思う。
日本を国としてまとめ上げるのに仏教の教えを採用したのは、正解だと思うよ。
現に良い人が多いのはそのおかげだと思う。
◆はやく人の為になりたい
現状活動のしかたが「自分のわがままに付き合ってもらってる」って感じがひどくて、それで活動しても申し訳なさでしんどいのだと思う。
作品買って頂いて嬉しいはずなのに、
うつ病近くなっているのはその不安が大きいと思う。
なんてわがままなんだ・・・
だから、私にとっては、
好きな絵を描いてるだけの状態は
「ただのわがまま」になってしまうので、
やっぱり誰かの役に立って「対等」になりたい。
買って頂いている方は、作品を譲ってもらうので「対等」だとは思っていると思います。
でもこちらはやっぱお金を頂くのに「わがままにお金をもらってる」感が拭えない。
はやいとこ自分のメンタルの為にも、受注窓口が必要だ・・・・
◆おみくじわろた
おみくじは神様のお言葉が文字で見られる
ありがたいシステムだと思っている。
法隆寺ではまたおみくじをしていなかったので、やってみた。
結果は大吉だった。前日からうつ気味だったのに、
あんた超ツイてるぜ!!!!みたいに励まされたし、
健康は「気を強く持て!」だし、
最初の全体アドバイスも
「落ち込むことない。時間はかかるが必ずよくなる」だし、
めちゃくちゃ励まされた。ありがとうございます・・・・・・・
大好きな法隆寺でこんなことおっしゃられたら
元気出ないわけがない。
本当に嬉しかったです。とにかく休まなければ。
◆中宮寺がめちゃ美しかった
聖徳太子の皇后さまが、太子供養のために立てらてたらしいお寺だけど、
池の上に高い柱で建てられたお堂が、
めちゃくちゃ静かで幻想的なデザインで美しい。
なんか懐かしくて、夢に見るような風景だった。
法隆寺の別邸扱いだけれど、東院伽藍からしか入れない為、
実質法隆寺の敷地の施設。
昔は全く別のところにあって滅びたものを、移設として持ってきたのかな?
うさぎちゃんモチーフがあったのが嬉しくて、
懐紙入れ買っちゃった・・・うさぎが月にいる話、こんなに前からあったんだねぇ。
◆長谷寺が思ったよりもすごかった
思ったよりもっていうのは失礼だが、
前情報が「夢告参籠の聖地のひとつ」くらいしかなかったので、
いい意味で驚き感動した。行ってよかった。
逆に思ったよりも夢告参籠の事は触れられてなかった。
有料のガイドブックなどを見たら、ちょくちょくその事は書いてあった。
もうちょっと資料探したいかも。
とても立派なお寺で、すごく美しかったし、
本尊の菩薩様もものすごい迫力ながらも優しいお顔で、
泣きそうになってしまった。
お堂の雰囲気も見れて、こんなところでみんな寝て参籠したのかぁと思い馳せる。
ここの仏像は平安〜鎌倉時代のものが多くて、迫力や荒々しさが目立ち、
時代の大変さがよく伝わってきた。
なんていうか、「絶対的ななにか」を感じずにはいられないデザイン。
飛鳥時代はやさしい和む雰囲気だったのが、
迫力重視の説得力って感じに・・・
鞍馬寺ほどではないけど、けっこう上り下りする体力のいるお寺だったので、
またゆっくり来たい・・・・
◆奈良は「癒されにいくところ」
展示は向かない
大好きな法隆寺や山があって、
落ち着いた雰囲気もある奈良で展示ができたらと思っていたけれど、
実際に行くとなんとなく直感で、私の作品は合わないかも、と思った。
基本的にこの町自体がマジで落ち着いてて平和の極み。
私の絵って、なんとなくだけど平和なところよりは
少し寂しさや忙しさ、辛さを感じる人がいるところに行きたいので、
そういう人が奈良は少ないなって感じてる。
いたとしても、この町に来てる事がもう仏教を求めているので、必要ない。
年齢層や一般層レベルも高いし、あまり合わなそうだと思った。
やっぱ私はオタク、若者向き・・・
でも遊びに行ったり、文化的な学びをしに行くには最高に良い所で、
やっぱりずっと遊びに来たい。
仕事は関係なし、ここ奈良は、「私の癒しの場所」にしておいた方がいいかもしれない。
橿原の方はまだ見てないけど、
おそらく似た雰囲気になるので、
無理に展示しなくていいかもな・・・・と思った。
好きと需要は、別ですね。
◆仏教の教えと私の折り合い
仏教の教えは完璧に実践しようと思うと
人間やめるレベルなのでむり。
一人で実践できるのは自分への慈悲と悪意の戒めのみで、
他人が絡んでくるとただただその人に優しいだけで、自分がなくなってしまう。
正しいわけじゃないなと感じた。
仏教の教えを完璧にするには、
そういう思想が同じ仲間に囲まれなければならない。
修行するひと、まじめに拝みに来る人は
少なくとも思想は似てると思うし、同じレベルで実践しやすく、幸せに感じると思う。
それなら私も、「同レベル」のような同じ思想の仲間を探したい。
その人たちに囲まれて生きられる環境が作る事ができれば、幸せになるのではないか。
やっぱり対等な関係って大事だな・・・と思った。
私は菩薩のようにはなれないが、
やっぱり法隆寺とか、由緒あるお寺にいると
そういう世界は憧れるし、可能な範囲でそうありたいと思う。
日本を国としてまとめ上げるのに仏教の教えを採用したのは、正解だと思うよ。
現に良い人が多いのはそのおかげだと思う。
◆はやく人の為になりたい
現状活動のしかたが「自分のわがままに付き合ってもらってる」って感じがひどくて、それで活動しても申し訳なさでしんどいのだと思う。
作品買って頂いて嬉しいはずなのに、
うつ病近くなっているのはその不安が大きいと思う。
なんてわがままなんだ・・・
だから、私にとっては、
好きな絵を描いてるだけの状態は
「ただのわがまま」になってしまうので、
やっぱり誰かの役に立って「対等」になりたい。
買って頂いている方は、作品を譲ってもらうので「対等」だとは思っていると思います。
でもこちらはやっぱお金を頂くのに「わがままにお金をもらってる」感が拭えない。
はやいとこ自分のメンタルの為にも、受注窓口が必要だ・・・・
◆おみくじわろた
おみくじは神様のお言葉が文字で見られる
ありがたいシステムだと思っている。
法隆寺ではまたおみくじをしていなかったので、やってみた。
結果は大吉だった。前日からうつ気味だったのに、
あんた超ツイてるぜ!!!!みたいに励まされたし、
健康は「気を強く持て!」だし、
最初の全体アドバイスも
「落ち込むことない。時間はかかるが必ずよくなる」だし、
めちゃくちゃ励まされた。ありがとうございます・・・・・・・
大好きな法隆寺でこんなことおっしゃられたら
元気出ないわけがない。
本当に嬉しかったです。とにかく休まなければ。
◆中宮寺がめちゃ美しかった
聖徳太子の皇后さまが、太子供養のために立てらてたらしいお寺だけど、
池の上に高い柱で建てられたお堂が、
めちゃくちゃ静かで幻想的なデザインで美しい。
なんか懐かしくて、夢に見るような風景だった。
法隆寺の別邸扱いだけれど、東院伽藍からしか入れない為、
実質法隆寺の敷地の施設。
昔は全く別のところにあって滅びたものを、移設として持ってきたのかな?
うさぎちゃんモチーフがあったのが嬉しくて、
懐紙入れ買っちゃった・・・うさぎが月にいる話、こんなに前からあったんだねぇ。
◆長谷寺が思ったよりもすごかった
思ったよりもっていうのは失礼だが、
前情報が「夢告参籠の聖地のひとつ」くらいしかなかったので、
いい意味で驚き感動した。行ってよかった。
逆に思ったよりも夢告参籠の事は触れられてなかった。
有料のガイドブックなどを見たら、ちょくちょくその事は書いてあった。
もうちょっと資料探したいかも。
とても立派なお寺で、すごく美しかったし、
本尊の菩薩様もものすごい迫力ながらも優しいお顔で、
泣きそうになってしまった。
お堂の雰囲気も見れて、こんなところでみんな寝て参籠したのかぁと思い馳せる。
ここの仏像は平安〜鎌倉時代のものが多くて、迫力や荒々しさが目立ち、
時代の大変さがよく伝わってきた。
なんていうか、「絶対的ななにか」を感じずにはいられないデザイン。
飛鳥時代はやさしい和む雰囲気だったのが、
迫力重視の説得力って感じに・・・
鞍馬寺ほどではないけど、けっこう上り下りする体力のいるお寺だったので、
またゆっくり来たい・・・・
コメントを書く...
Comments