親からの言葉
愚痴記事です!!!!
ツイッターで親の教育やら子供のトラウマの話がまわってくると反応してしまうんですが、やっぱり私も大したことないながらも苦しい事がたくさんあったので、他人事に思えません・・・
何より私は今も大人が嫌いです。
大人、と言っても、「子供みたいな話の通じない自分の事ばかりの大人」が嫌いです。
本当の大人は、融通がきいたり、違いを認めたり上手く無視できたり、
もっとさっぱりしているものです。
大人が嫌い。
その原因は、まぎれもなく幼少期に関わった大人たちのせい。
母親、保育園の先生、小学校の先生など、私は、大人という点ではけっこう嫌な人に会ってきた方だと思います。
幸か不幸かわりと母親が過保護気味で大切に育てられてきたとは思いますが、
やっぱりその過保護な点で問題もたくさん起きてきてて、
なんていうか、親が恥ずかしいと思うとこまで何度も来た事があります。
母親は子供です。
典型的な、子どものまま育った感じです。
大人っぽく振舞っても、精神のキャパシティは狭いので、ダメになっちゃうと、ひどく攻撃的になってしまいます。
そりゃダメになったらだれでも参ってしまうけど、うちの母はそれが極端に低いと思う。
ヒステリーに怒鳴り散らして破壊的な行動を取るのは小さいころはたくさん見てて怖くて、
絶対にこんな人になりたくないと、反面教師にするしかなかった。
父親も子供です。
でも、子供のように純粋、という意味で、あんまり悪いイメージはありません。
まぁ強いていうなら我が道を行くタイプなので、言う事を聞いてほしい母とはぶつかってもしょうがないタイプで、人の事をあんまり気にしないってのが難点かな。
良くも悪くも、だけど。
その、人を気にしない、という部分が、私は父親に似たのかもしれません。
何より絶対に怒らなかったので、昔はお父さん大好きで、お父さんっ子でした。
お父さんが居なかったら、私は逃げ場がなかったかもしれません。
母親にゲーム禁止にされてた時も、お父さんの前では遊んでてよくて、よく家の外に連れ出して外で遊ばせてくれました。
そんなお父さんが大好きだったので、私がゆっくりマイペースで動いて要領が悪いと、
母親に「お父さんに似たからそんなにできないんだね」
と言われたのはめちゃくちゃショックで、怒りと悲しみでどうにかなりそうでした。
きっと本人は覚えていないのでしょうが。
言い方的にはお父さんが悪い、みたいに言ってたように思うんですが、遠回しに子どもの存在否定してますよね。
それくらい子供でも分かるんですよね。
子どもだから、子どもなんだから、子どもをバカにするのは良くない。
子どもはしっかり分かってる。
のんびりしてても、やっぱりいろいろやってみたい。
好奇心は強かったので、いろいろ頑張ろうとするんです。
でも、やっぱり私って過保護に育てられたんだなぁと思います。
母親から、できない、というレッテルを貼られ、手を出される。
自分でできない。悔しいです。
結局学校とかで、そういうとこが出るんですよ。私はすごく弱かった。
そんで学校でなんかあると、親が学校の方に出てすんごい怒るじゃないですか。
もうどこも逃げ場がない。
そういう親を見られるのが恥ずかしかったし、かといって先生も怖くてあんまり相談もできなかったし、もうどんどん、自分は弱い、弱い、って思うようになっていっちゃうんですよね。
もっといろんなことを、のびのびと好きにやらせてくれたら。
失敗しても怒られなければ、何が悪かったか明確に言ってくれれば、
こんな怖がりで自尊心の低い自分にはならなかったんじゃないかと、なんか思ってしまいます。
ゲームにはまったのだって、ゲームはいくら失敗しても現実には支障ないし、唯一自由な時間だったのかもしれませんね。自分のしたいように唯一できるものだった。
絵もそういうとこはあるかもしれない。
終わった事だし今は好きな事しててもういいんですが、
こういう事を未だによく覚えているから、大人が嫌いで、大人になりたくない、と思っています。
正直自分の本名に込められた意味、ちゃんと意味通りに生きているのか全然わかんないです。
かしこい子に、という意味が込められてるって聞いたけど、
正直親の思う賢いという意味通りには育ってない気がします。すまんな。
マイペースで、注意力が低くて、ぼーっとしてて、遅い。
まじでこんなの生きてる価値あるんですかね。
そう思わせたのはまぎれもなく母親なんですが、傷つけるので言えないです。
言ったことないし・・・
ひとつを思い出すと、一気にいろいろ思い出す。つらい。
そう、できない事といえば。
何が分からないのか、というのを誰も聞いてくれなかったから、
分からないといっても、どうして分からないの、
としか言われなくて勉強できるわけなかった。
何が分からないか分からない、考え方が根本から分からないのに。
自分の興味のある事は極端に成績がよくて、わからないものは極端に悪い、というのはこのせいだと思います。
分かりやすかったのが、美術。
絵だと5とか取ってるのに、図工、特に既に完成形のある精密なものを作る、となると、1〜2とか取る人だったんですよね自分0(:3 )〜 _('、3」 ∠ )_
ペーパークラフトとか、図の通りにやるだけ、と言われたんですけど、それが分からなかったんですよ。
さすがに頭悪いでしょ。でも本当にわかんなかった。きれいにできなかった。
完全に無から作る粘土はだいぶ良かったけど、はじめから答えがあるものは、なんか考え方がわからなくて、どうしてそうなるのか、成り立ちを考えるのが苦手だった。
数学ができないのも納得です。
人が考えた暗号を考えるとか、今も苦手です。
自分で過程を作って自分のやり方を築いていくもの、ふわっとしたものは得意でした。
逆に、母親はそういうとこが苦手で、父親は得意だった。両極端です。
母親は、私が数字の問題で分からないでいる事にイライラしていたのは、なんで分からないのか分からなくて、教え方が分からなかったんだなぁと今は思います。
母親はそういう勉強という所では頭いいです。だからこそですよね・・・
まぁイラつかれて怒られてばかりだったから、勉強嫌いになるよね。
本当に、怒っても良い事なんにもない。怖いだけで・・・
子どもには怒らずに、正しく教えて、時に叱りましょうね。
逆にお父さんに言われた注意は納得いって素直に聞いてました。
絶対に怒らなかったからね。信頼できてました。
こういう、辛い気持ちを背負った子供の気持ちは分かるんですが、
逆に良い場所で育った明るい子の気持ちは私はあまり分からないと思うので、
接するのはちょっと苦手だったりします。
ごめんね・・・まぁでもその場合は根暗おねえちゃんだと思っててもらっててかまわないぞ!
そもそも私もわりと幼少期からそんなに考え方変わってないから、当時から明るい子苦手なのも変わってないだけだから!!!
私も!!!!こどもです!!!!
経験した事しか深い理解を得られない、というのを、もっと人類は知るべきですよね。
それを心がけてるだけで、本当に人に優しくなれると思います。
他人は、自分が思ってるほど、なにもわかってない。
ツイッターで親の教育やら子供のトラウマの話がまわってくると反応してしまうんですが、やっぱり私も大したことないながらも苦しい事がたくさんあったので、他人事に思えません・・・
何より私は今も大人が嫌いです。
大人、と言っても、「子供みたいな話の通じない自分の事ばかりの大人」が嫌いです。
本当の大人は、融通がきいたり、違いを認めたり上手く無視できたり、
もっとさっぱりしているものです。
大人が嫌い。
その原因は、まぎれもなく幼少期に関わった大人たちのせい。
母親、保育園の先生、小学校の先生など、私は、大人という点ではけっこう嫌な人に会ってきた方だと思います。
幸か不幸かわりと母親が過保護気味で大切に育てられてきたとは思いますが、
やっぱりその過保護な点で問題もたくさん起きてきてて、
なんていうか、親が恥ずかしいと思うとこまで何度も来た事があります。
母親は子供です。
典型的な、子どものまま育った感じです。
大人っぽく振舞っても、精神のキャパシティは狭いので、ダメになっちゃうと、ひどく攻撃的になってしまいます。
そりゃダメになったらだれでも参ってしまうけど、うちの母はそれが極端に低いと思う。
ヒステリーに怒鳴り散らして破壊的な行動を取るのは小さいころはたくさん見てて怖くて、
絶対にこんな人になりたくないと、反面教師にするしかなかった。
父親も子供です。
でも、子供のように純粋、という意味で、あんまり悪いイメージはありません。
まぁ強いていうなら我が道を行くタイプなので、言う事を聞いてほしい母とはぶつかってもしょうがないタイプで、人の事をあんまり気にしないってのが難点かな。
良くも悪くも、だけど。
その、人を気にしない、という部分が、私は父親に似たのかもしれません。
何より絶対に怒らなかったので、昔はお父さん大好きで、お父さんっ子でした。
お父さんが居なかったら、私は逃げ場がなかったかもしれません。
母親にゲーム禁止にされてた時も、お父さんの前では遊んでてよくて、よく家の外に連れ出して外で遊ばせてくれました。
そんなお父さんが大好きだったので、私がゆっくりマイペースで動いて要領が悪いと、
母親に「お父さんに似たからそんなにできないんだね」
と言われたのはめちゃくちゃショックで、怒りと悲しみでどうにかなりそうでした。
きっと本人は覚えていないのでしょうが。
言い方的にはお父さんが悪い、みたいに言ってたように思うんですが、遠回しに子どもの存在否定してますよね。
それくらい子供でも分かるんですよね。
子どもだから、子どもなんだから、子どもをバカにするのは良くない。
子どもはしっかり分かってる。
のんびりしてても、やっぱりいろいろやってみたい。
好奇心は強かったので、いろいろ頑張ろうとするんです。
でも、やっぱり私って過保護に育てられたんだなぁと思います。
母親から、できない、というレッテルを貼られ、手を出される。
自分でできない。悔しいです。
結局学校とかで、そういうとこが出るんですよ。私はすごく弱かった。
そんで学校でなんかあると、親が学校の方に出てすんごい怒るじゃないですか。
もうどこも逃げ場がない。
そういう親を見られるのが恥ずかしかったし、かといって先生も怖くてあんまり相談もできなかったし、もうどんどん、自分は弱い、弱い、って思うようになっていっちゃうんですよね。
もっといろんなことを、のびのびと好きにやらせてくれたら。
失敗しても怒られなければ、何が悪かったか明確に言ってくれれば、
こんな怖がりで自尊心の低い自分にはならなかったんじゃないかと、なんか思ってしまいます。
ゲームにはまったのだって、ゲームはいくら失敗しても現実には支障ないし、唯一自由な時間だったのかもしれませんね。自分のしたいように唯一できるものだった。
絵もそういうとこはあるかもしれない。
終わった事だし今は好きな事しててもういいんですが、
こういう事を未だによく覚えているから、大人が嫌いで、大人になりたくない、と思っています。
正直自分の本名に込められた意味、ちゃんと意味通りに生きているのか全然わかんないです。
かしこい子に、という意味が込められてるって聞いたけど、
正直親の思う賢いという意味通りには育ってない気がします。すまんな。
マイペースで、注意力が低くて、ぼーっとしてて、遅い。
まじでこんなの生きてる価値あるんですかね。
そう思わせたのはまぎれもなく母親なんですが、傷つけるので言えないです。
言ったことないし・・・
ひとつを思い出すと、一気にいろいろ思い出す。つらい。
そう、できない事といえば。
何が分からないのか、というのを誰も聞いてくれなかったから、
分からないといっても、どうして分からないの、
としか言われなくて勉強できるわけなかった。
何が分からないか分からない、考え方が根本から分からないのに。
自分の興味のある事は極端に成績がよくて、わからないものは極端に悪い、というのはこのせいだと思います。
分かりやすかったのが、美術。
絵だと5とか取ってるのに、図工、特に既に完成形のある精密なものを作る、となると、1〜2とか取る人だったんですよね自分0(:3 )〜 _('、3」 ∠ )_
ペーパークラフトとか、図の通りにやるだけ、と言われたんですけど、それが分からなかったんですよ。
さすがに頭悪いでしょ。でも本当にわかんなかった。きれいにできなかった。
完全に無から作る粘土はだいぶ良かったけど、はじめから答えがあるものは、なんか考え方がわからなくて、どうしてそうなるのか、成り立ちを考えるのが苦手だった。
数学ができないのも納得です。
人が考えた暗号を考えるとか、今も苦手です。
自分で過程を作って自分のやり方を築いていくもの、ふわっとしたものは得意でした。
逆に、母親はそういうとこが苦手で、父親は得意だった。両極端です。
母親は、私が数字の問題で分からないでいる事にイライラしていたのは、なんで分からないのか分からなくて、教え方が分からなかったんだなぁと今は思います。
母親はそういう勉強という所では頭いいです。だからこそですよね・・・
まぁイラつかれて怒られてばかりだったから、勉強嫌いになるよね。
本当に、怒っても良い事なんにもない。怖いだけで・・・
子どもには怒らずに、正しく教えて、時に叱りましょうね。
逆にお父さんに言われた注意は納得いって素直に聞いてました。
絶対に怒らなかったからね。信頼できてました。
こういう、辛い気持ちを背負った子供の気持ちは分かるんですが、
逆に良い場所で育った明るい子の気持ちは私はあまり分からないと思うので、
接するのはちょっと苦手だったりします。
ごめんね・・・まぁでもその場合は根暗おねえちゃんだと思っててもらっててかまわないぞ!
そもそも私もわりと幼少期からそんなに考え方変わってないから、当時から明るい子苦手なのも変わってないだけだから!!!
私も!!!!こどもです!!!!
経験した事しか深い理解を得られない、というのを、もっと人類は知るべきですよね。
それを心がけてるだけで、本当に人に優しくなれると思います。
他人は、自分が思ってるほど、なにもわかってない。
コメントを書く...
Comments