たくさんの意識と
やっぱクーピーって軽い力でしっかり色出るから、色鉛筆より単純に塗り速度速い。
あとやっぱクレヨンっぽいからちょっとかわいい感じで描けるし。
ちょっとしたラクガキならクーピーのがいいのかな・・・
色鉛筆は繊細に描けるんだけどね!
描きたい雰囲気で画材変えるってのはホントに必要なことなのかも。
こう、たくさんの人の意識を見ることができるツイッターって不思議ですよね。
ツイッターとか使ってなかったら、こんなに一気に人の意識を垣間見るってない事だもの。
ずっと見ていたら自分がなくなるって感覚がちょっとあります。
あの人のことが気になる。この内容のことが気になる。自分の発言て意味あるのか。
意見が飛んでくるにも、知らない所からたくさん飛んできたり。
今はツイッターとの付き合い方に慣れたから私は保って居られてるけど、こういう意識の量に打ちのめされてツイッターが嫌になるって人は、けっこう居そうだ(´・ω・`)
ベターマンっていうアニメのさくらちゃんは、常にまわりのいろんな人の意識が流れ込んでくるっていう状態で、自分の意思はあるものの、基本虚ろな状態で。
普通の人がそんな状態になったらほんとに発狂もんなんだろなぁ・・・
ツイッターってちょっとそんな感じのものに似てるとふと思った。
ツイッターで未だにやっぱ好きなものの事を、内容関係なく、負の言葉を使って話題にされてると精神的に来て勝手に凹んでます。全身痛くなる・・・
たまにだし、その時だけだからいいんだけど・・・
ほんとどんだけそういう言葉に弱いんだ。
デリケートすぎてもいけないと思うんだよねぇ・・・
でも、そんな事を思っても、自分が使う気にもならないし、やっぱ聞きたくないし。
昔ツイッターやってた時はそういう聞きたくない言葉や話であふれかえってて、そりゃ辞めたくなるわと思いました。
今はほんとにだいたい平和だなぁ。
負の言葉の中でも暴言と呼ばれる種類の言葉は、どうも強すぎます。
なんでこんなに不公平なんだろう。
そういった言葉に対して、優しい言葉は弱すぎる。
力で押しつぶされてしまう。
文字だけの場合の限界なんだろうなって感じます。
優しい言葉で対抗するには、声が必要なのかなぁと・・・
だからネットの世界で荒らしとかには反応しても、勝てないんだろうなって思います。
関わるだけ無駄だっていう、暗黙のルール。
実際関わってなんとかなった所を見たことがない気がします。
なんだかんだやっぱちょっと暴言を言えるっていうのも羨ましい気はします。
普段から使えている人はそれで発散もできるんだろうし、
私みたいにいちいち気にしすぎるって人もそんな居るとは思えないし、
普通に発散手段としてはいいと思うんです。一般的なことだと思います。
私はそういう感じじゃないから、気軽に話せない、関わりづらいって思われるのかもしれないなぁ・・・
どんなにそう思ってもやっぱり自分はなかなか使えないと思うし、それもずっと変わらないと思うから、まぁ、しかたないか。
それが私だものね(´・ω・`)
別に良い人でいたいわけじゃない。本当に使えないんです。
持つ感情や感想が同じだとしても、その言葉が私には使えないだけで、一緒の事なんです。
言ってしまうと、それだけで罪悪感に打ちのめされる気がする・・・
だから言える人はその言葉に強いし、羨ましいです。
強いってのは違うかな・・・
同じような言葉で返すしかないから、お互いさまになるのかな。
それでも対等になる手段を持っているってだけで、役立つ場面はあるんじゃないか。
うちの家庭は言葉には厳しかったんです。
だから乱暴な言葉自体はうちの家庭で飛び交うことはそんなにありません。
ないんだけど、怒ることはめちゃ多かったから、感情も付加された言葉に敏感なんですよね・・・
怒りは怖い。単語が乱暴でなくても言い方で攻撃的になっちゃったりして。
言葉と感情。組み合わせ次第でどうにもなる。
暴言だって笑いの中で使えばネタになったりするし、別に悪いだけの言葉ではないと思いますし。
お笑いコントみたいなのはそういうので成り立ってたりしますよね。
いろいろ書いたけど、要は悪い意味で使うと、なんでもおっかないよってこと。
当たり前のようだけど、なかなか複雑だとも思いますし、
もちろん噛み合えば簡単なことだと思います。
あとやっぱクレヨンっぽいからちょっとかわいい感じで描けるし。
ちょっとしたラクガキならクーピーのがいいのかな・・・
色鉛筆は繊細に描けるんだけどね!
描きたい雰囲気で画材変えるってのはホントに必要なことなのかも。
こう、たくさんの人の意識を見ることができるツイッターって不思議ですよね。
ツイッターとか使ってなかったら、こんなに一気に人の意識を垣間見るってない事だもの。
ずっと見ていたら自分がなくなるって感覚がちょっとあります。
あの人のことが気になる。この内容のことが気になる。自分の発言て意味あるのか。
意見が飛んでくるにも、知らない所からたくさん飛んできたり。
今はツイッターとの付き合い方に慣れたから私は保って居られてるけど、こういう意識の量に打ちのめされてツイッターが嫌になるって人は、けっこう居そうだ(´・ω・`)
ベターマンっていうアニメのさくらちゃんは、常にまわりのいろんな人の意識が流れ込んでくるっていう状態で、自分の意思はあるものの、基本虚ろな状態で。
普通の人がそんな状態になったらほんとに発狂もんなんだろなぁ・・・
ツイッターってちょっとそんな感じのものに似てるとふと思った。
ツイッターで未だにやっぱ好きなものの事を、内容関係なく、負の言葉を使って話題にされてると精神的に来て勝手に凹んでます。全身痛くなる・・・
たまにだし、その時だけだからいいんだけど・・・
ほんとどんだけそういう言葉に弱いんだ。
デリケートすぎてもいけないと思うんだよねぇ・・・
でも、そんな事を思っても、自分が使う気にもならないし、やっぱ聞きたくないし。
昔ツイッターやってた時はそういう聞きたくない言葉や話であふれかえってて、そりゃ辞めたくなるわと思いました。
今はほんとにだいたい平和だなぁ。
負の言葉の中でも暴言と呼ばれる種類の言葉は、どうも強すぎます。
なんでこんなに不公平なんだろう。
そういった言葉に対して、優しい言葉は弱すぎる。
力で押しつぶされてしまう。
文字だけの場合の限界なんだろうなって感じます。
優しい言葉で対抗するには、声が必要なのかなぁと・・・
だからネットの世界で荒らしとかには反応しても、勝てないんだろうなって思います。
関わるだけ無駄だっていう、暗黙のルール。
実際関わってなんとかなった所を見たことがない気がします。
なんだかんだやっぱちょっと暴言を言えるっていうのも羨ましい気はします。
普段から使えている人はそれで発散もできるんだろうし、
私みたいにいちいち気にしすぎるって人もそんな居るとは思えないし、
普通に発散手段としてはいいと思うんです。一般的なことだと思います。
私はそういう感じじゃないから、気軽に話せない、関わりづらいって思われるのかもしれないなぁ・・・
どんなにそう思ってもやっぱり自分はなかなか使えないと思うし、それもずっと変わらないと思うから、まぁ、しかたないか。
それが私だものね(´・ω・`)
別に良い人でいたいわけじゃない。本当に使えないんです。
持つ感情や感想が同じだとしても、その言葉が私には使えないだけで、一緒の事なんです。
言ってしまうと、それだけで罪悪感に打ちのめされる気がする・・・
だから言える人はその言葉に強いし、羨ましいです。
強いってのは違うかな・・・
同じような言葉で返すしかないから、お互いさまになるのかな。
それでも対等になる手段を持っているってだけで、役立つ場面はあるんじゃないか。
うちの家庭は言葉には厳しかったんです。
だから乱暴な言葉自体はうちの家庭で飛び交うことはそんなにありません。
ないんだけど、怒ることはめちゃ多かったから、感情も付加された言葉に敏感なんですよね・・・
怒りは怖い。単語が乱暴でなくても言い方で攻撃的になっちゃったりして。
言葉と感情。組み合わせ次第でどうにもなる。
暴言だって笑いの中で使えばネタになったりするし、別に悪いだけの言葉ではないと思いますし。
お笑いコントみたいなのはそういうので成り立ってたりしますよね。
いろいろ書いたけど、要は悪い意味で使うと、なんでもおっかないよってこと。
当たり前のようだけど、なかなか複雑だとも思いますし、
もちろん噛み合えば簡単なことだと思います。
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