違ってもいいじゃないか
いつも散歩してるとこ。
言いたい事まとまってないけど吐き出したい←
あんまり同年代の友達や知り合いでこういう散歩の仕方してる人いないと思う・・・
で、恥ずかしくて言えない。
散歩ってどこに行くのかって話になると、山に行くって人はいないんだよなぁ。
都会育ちの人と話すと家の隣が森ってだけで驚かれるから、なんか言いづらい。
そんななんでまず仲良くならないと言わないです((
でも自分がよく山の散歩に行くようになったのは2年くらい前だと思う。
やっぱ住宅街にしろ街にしろ、「人に会う」ってのが嫌で、遭遇率の低い山が一番だったんですよね。
それでも小さいころから冒険のつもりでわりと山には入ってたし、元々抵抗はなかったかなーと。危ないからって、よく怒られたけど、こりもせず。苦笑
今はそんなに危なくない程度に入ってます。
子どもの頃ってほんと怖いもの知らず。
他人と何か違うものがあるって自覚すると、それを言えなくてなんだか寂しくなることがあります。
そういうとこってみんな持ってると思うんだけど・・・・
自分はほんとまだ一般的な社会人としてはあんまり常識的じゃないのかもなぁと良く思います。
自分から仕事以外の話できない、電話対応うまくない、お酒飲めない、カラオケ歌わない、大勢の人に溶け込めない、まぁよくあるコミュニケーションが苦手なパターンで。
でも、これって普通のことなのかって考えたら、今までやってこなかったことだし、自分にとっては必要とも感じられなくて。
だから私にとっては普通にはなり得ない事で。
慣れでできてもすごくストレスになる。普通ではなから。
すごい元気な人達ってこういうことをやってのけるから、すごいなぁとも思いつつ、できない人の気持ちはあんまり分からないかもなぁと、逆に私も、よくわからない。
でもよくわからないのに、そういう活発なことできた方がいいんだろうなぁと思ってしまう。
それは一般的に積極的で明るい方がいいからってのが分かってるからなんですよね。
でもできない。できないから普通じゃないんだって、刷り込まれてしまう。
そう思う人って私だけじゃないから、ほんとはそういう人が居るのも普通のことだし、比べるものではないから大丈夫なんだけどねぇ・・・
なんかそういう力の強弱・比べ方がたまに理不尽だなぁって思います。
「普通はこうでしょ?」「それおかしくない?」「ありえない」っていうような言い方が昔からすごく苦手です。
なんだかあまりにも一方的な言葉で。
ありえないってなんだよ目の前にありえてるだろって←
そうやって常識を学んでくんだろうけど、なんか言われるとショックなんですよね。苦笑
今まで普通だと思ってたものが通じないとか、私っておかしかったのかな、とか、なんでできてなかったんだ、とか。
でもそんなんは知らなかったから仕方ないことで。
だから、個人的にはあんまりいい言い方ではない気がします・・・
ほんとに親や上司によく言われたんだけど、思った以上に心につっかえてしんどかった。
親は私が一人暮らしで離れてから色々あって変わって、今は言わなくなって、よかったなぁと思います。
ほんとにそれに関することで親にも色々あったんですよね・・・
受け入れてからこういう風にするといいとか、教えるとか、
あぁ、まだできないのか、で、いったん一呼吸。
それから、実はこうするといいんだよって。
まず「その人を受け入れる」って段階は何をするにもすごく大切だなぁと思います。
いきなり、できないなんてダメじゃんこうだよ!って一気に言われても、ショック受ける人のが多いと思うんですよね。
自分がそうされてきたから自分はそうしないようにしようって反面教師のようにして過ごしてきたから、自信はないけど、そういう「人を受け入れる」って心がけはしてきたつもりです。
やりすぎると人の感情しょい込みすぎて疲れるので、ほんとによく疲れてへたくそなんですけどね。苦笑
それにできないことはやっぱできないこともあるから、いつもではないけど。
そこらへんのこと、気を付けていきたいなぁ。
なんでこんなこと気になったかってことなんだけど、やっぱツイッターなんですよね(
ブロックとかって完全に否定みたいに受け取られることが多いんだけど、
みんないろんな理由があってブロックやらリムーブやらしているわけで、
全部が嫌いになったわけじゃないのに、存在否定された気分になるって人が多い。
私もそう思う時はあるけど、いちいち気にしてたらキリがないんです。
リアルに比べてネットってのは出会いの数が多すぎる。
数が違いすぎるから、やっぱリアルより冷たくならざるを得ない場合がかなり出てくるし、しんどいって思うことも増える事があるんだろうね。
さっき言ってた「人を受け入れる」の段階をすべての人のすべての言葉に踏んでたらキリがなさすぎる。
リアルで人とたくさん接するタイプの人って、いつもそういう感覚なのかもしれないと思ったら、まぁやっぱネットもリアルも人間関係って同じって思いました。
ただリアルはほんとに大事なことだと思うんですよね。
ネットと違ってしっかりした関わりの場合が多いだろうから、「受け入れる」段階はやっぱ大切だと思います。
やっぱ人は文字だけでなく、声で話したり会って関係を築くのが一番自然じゃ。
文字だとお手紙レベルで何度もやりとりしないと難しそう。
ツイッターじゃ本音レベルの意見のやり取りしようと思うと、いつまで経ってもわからないことありそうで辛すぎる気がする。
ツイッターで意見のやり取りで食い違ったりしてるの見てると、
なんか互いに知らない事が多すぎて、「違う!」と「違う!」のぶつかり合いしてるだけのがたまにあって、お互いに受け入れるってのをしないと一生やり取りできなさそうだなっての、いっぱいあります・・・
ネットの世界は基本的にドライに、と時々意識的に矯正しないとまた自分も失敗しそうだなぁ・・・
まとまらない\(^o^)/
ほーんと文字だそれが全てだと思われちゃうから、足りないものあるとこまかいとこ勘違いされちゃいそうで。文章上手い人ってすごいや・・・
言いたい事まとまってないけど吐き出したい←
あんまり同年代の友達や知り合いでこういう散歩の仕方してる人いないと思う・・・
で、恥ずかしくて言えない。
散歩ってどこに行くのかって話になると、山に行くって人はいないんだよなぁ。
都会育ちの人と話すと家の隣が森ってだけで驚かれるから、なんか言いづらい。
そんななんでまず仲良くならないと言わないです((
でも自分がよく山の散歩に行くようになったのは2年くらい前だと思う。
やっぱ住宅街にしろ街にしろ、「人に会う」ってのが嫌で、遭遇率の低い山が一番だったんですよね。
それでも小さいころから冒険のつもりでわりと山には入ってたし、元々抵抗はなかったかなーと。危ないからって、よく怒られたけど、こりもせず。苦笑
今はそんなに危なくない程度に入ってます。
子どもの頃ってほんと怖いもの知らず。
他人と何か違うものがあるって自覚すると、それを言えなくてなんだか寂しくなることがあります。
そういうとこってみんな持ってると思うんだけど・・・・
自分はほんとまだ一般的な社会人としてはあんまり常識的じゃないのかもなぁと良く思います。
自分から仕事以外の話できない、電話対応うまくない、お酒飲めない、カラオケ歌わない、大勢の人に溶け込めない、まぁよくあるコミュニケーションが苦手なパターンで。
でも、これって普通のことなのかって考えたら、今までやってこなかったことだし、自分にとっては必要とも感じられなくて。
だから私にとっては普通にはなり得ない事で。
慣れでできてもすごくストレスになる。普通ではなから。
すごい元気な人達ってこういうことをやってのけるから、すごいなぁとも思いつつ、できない人の気持ちはあんまり分からないかもなぁと、逆に私も、よくわからない。
でもよくわからないのに、そういう活発なことできた方がいいんだろうなぁと思ってしまう。
それは一般的に積極的で明るい方がいいからってのが分かってるからなんですよね。
でもできない。できないから普通じゃないんだって、刷り込まれてしまう。
そう思う人って私だけじゃないから、ほんとはそういう人が居るのも普通のことだし、比べるものではないから大丈夫なんだけどねぇ・・・
なんかそういう力の強弱・比べ方がたまに理不尽だなぁって思います。
「普通はこうでしょ?」「それおかしくない?」「ありえない」っていうような言い方が昔からすごく苦手です。
なんだかあまりにも一方的な言葉で。
ありえないってなんだよ目の前にありえてるだろって←
そうやって常識を学んでくんだろうけど、なんか言われるとショックなんですよね。苦笑
今まで普通だと思ってたものが通じないとか、私っておかしかったのかな、とか、なんでできてなかったんだ、とか。
でもそんなんは知らなかったから仕方ないことで。
だから、個人的にはあんまりいい言い方ではない気がします・・・
ほんとに親や上司によく言われたんだけど、思った以上に心につっかえてしんどかった。
親は私が一人暮らしで離れてから色々あって変わって、今は言わなくなって、よかったなぁと思います。
ほんとにそれに関することで親にも色々あったんですよね・・・
受け入れてからこういう風にするといいとか、教えるとか、
あぁ、まだできないのか、で、いったん一呼吸。
それから、実はこうするといいんだよって。
まず「その人を受け入れる」って段階は何をするにもすごく大切だなぁと思います。
いきなり、できないなんてダメじゃんこうだよ!って一気に言われても、ショック受ける人のが多いと思うんですよね。
自分がそうされてきたから自分はそうしないようにしようって反面教師のようにして過ごしてきたから、自信はないけど、そういう「人を受け入れる」って心がけはしてきたつもりです。
やりすぎると人の感情しょい込みすぎて疲れるので、ほんとによく疲れてへたくそなんですけどね。苦笑
それにできないことはやっぱできないこともあるから、いつもではないけど。
そこらへんのこと、気を付けていきたいなぁ。
なんでこんなこと気になったかってことなんだけど、やっぱツイッターなんですよね(
ブロックとかって完全に否定みたいに受け取られることが多いんだけど、
みんないろんな理由があってブロックやらリムーブやらしているわけで、
全部が嫌いになったわけじゃないのに、存在否定された気分になるって人が多い。
私もそう思う時はあるけど、いちいち気にしてたらキリがないんです。
リアルに比べてネットってのは出会いの数が多すぎる。
数が違いすぎるから、やっぱリアルより冷たくならざるを得ない場合がかなり出てくるし、しんどいって思うことも増える事があるんだろうね。
さっき言ってた「人を受け入れる」の段階をすべての人のすべての言葉に踏んでたらキリがなさすぎる。
リアルで人とたくさん接するタイプの人って、いつもそういう感覚なのかもしれないと思ったら、まぁやっぱネットもリアルも人間関係って同じって思いました。
ただリアルはほんとに大事なことだと思うんですよね。
ネットと違ってしっかりした関わりの場合が多いだろうから、「受け入れる」段階はやっぱ大切だと思います。
やっぱ人は文字だけでなく、声で話したり会って関係を築くのが一番自然じゃ。
文字だとお手紙レベルで何度もやりとりしないと難しそう。
ツイッターじゃ本音レベルの意見のやり取りしようと思うと、いつまで経ってもわからないことありそうで辛すぎる気がする。
ツイッターで意見のやり取りで食い違ったりしてるの見てると、
なんか互いに知らない事が多すぎて、「違う!」と「違う!」のぶつかり合いしてるだけのがたまにあって、お互いに受け入れるってのをしないと一生やり取りできなさそうだなっての、いっぱいあります・・・
ネットの世界は基本的にドライに、と時々意識的に矯正しないとまた自分も失敗しそうだなぁ・・・
まとまらない\(^o^)/
ほーんと文字だそれが全てだと思われちゃうから、足りないものあるとこまかいとこ勘違いされちゃいそうで。文章上手い人ってすごいや・・・
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